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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第8回 シンデレラボーイ誕生

 

筆者の大学時代の恩師・宮井勝成監督(故人)。早実監督時代、王貞治氏(元巨人。現ソフトバンク球団会長)も教え子だ


幽霊部員からの脱出?


 昨年の暮れ、僕が巨人を退社したときに、中央大学の先輩である阿部東司さんへ退団の報告をした。

「これからどうするんだ」と問われ、「まだ何も決まってないですが、ベーマガの池田(池田哲雄)社長から声を掛けていただき、週刊ベースボールで連載をやらせてもらえることになりました」と答えたら、「へぇー、お前にそんなのできるのかぁ」と言われてしまった。

 それで「これだけ長く巨人でお世話になったので、他愛のないことばかりですけど自分だけのネタくらいはあるんですよ。それに、僕が野球をやめないで済んだきっかけは阿部さんなんですよ。阿部さんの話も必ず書きますから楽しみにしてください」と言った。

 実際、阿部先輩は、僕の恩人なのだ。

 その話に入る前に、前回の続きに戻しておく。

 中央大学の1年時、夏が過ぎたころからは、野球部の練習は気が向いたときだけ顔を出す程度になり、もう野球部を続けるのは無理かなと思うようになっていた。ほかの通い組の連中も同様で、たまにグラウンドに向かう吉祥寺駅のバス停で何人かが一緒になっても、誰かが「どうする? 練習行く?」と言い出し、1人が「やっぱり、やめよっか」と言ったら、僕たちは回れ右をして吉祥寺駅に戻り、坊主頭に学ラン姿でフルーツパフェを食べて帰ったりしていた。

 半分、幽霊部員である。

 残念だが、いくら才能はあっても、練習に来ない部員はフェードアウトで消えていく。そんな選手も少なくなかった。僕もあのまま行けば間違いなく退部扱いになり、野球はやめていただろう。プロ野球の選手なんて、夢のまた夢だったのである。

 幽霊部員状態で1年が過ぎ、春のオープン戦の時期がまた来た。その日の練習もあまり行く気がなかったが、たまたまほかの2年生の通い組と久びさに練習に行くことになり、向かった練馬区立野町のグラウンドの入り口で、偶然、先輩と会ってしまった。それで「オイ、お前らよく来たな」となった。

 その人が・・・

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ジャイアンツ一筋41年。元巨人軍広報による回想録!

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