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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第9回 ノーヒットノーランで開かれた道

 

中央大学時代、4年春の東洋大戦でノーヒットノーランを達成した筆者


連続完投で優勝


 前回は、大学2年春、公式戦デビューである亜細亜相手のリーグ戦の話だった。2日で2勝を挙げ、新聞には「シンデレラボーイ」と書かれていい気になっていた僕だが、すぐさま戦国東都の厳しさに見舞われることになる。

 僕が1年のころは森繁和さん(のち西武)がエースの駒澤が強く、春秋連覇を遂げていたが、中央も主将の岡村隆則さん(のち西武)を中心に強いチームとして競り合っていた。ほかにも上級生であれば、駒澤なら石毛宏典さん(のち西武ほか)、専修なら中尾孝義さん(のち中日ほか)、東洋なら松沼雅之さん(のち西武)と、戦国東都にふさわしい選手たちがしのぎを削っていた。

 他校から見れば、その中に中央の僕の同期、小川淳司(のちヤクルト。現GM)、熊野輝光(のち阪急ほか)も入ってくるだろう。小川の話は何度かしたが、熊野も素晴らしい選手だった。俊敏な動きとシャープなスイングで、練習ではサク越えを連発していた。最初、上級生かと思っていたら、「お前と同級生だよ」と言われ、びっくりした記憶がある。

 僕の話に戻そう。亜細亜相手に2勝したあと、2、3年のときは投げてはいたが、よかったり悪かったりの繰り返しで、チームも3、4、5位あたりが指定席だった。

 4年生春の開幕戦(4月3日)が僕の運命を変えた日と言っていいだろう。東洋を相手に、なんとノーヒットノーラン! 東都では21年ぶり7度目の記録で、中央ではほかに伊藤芳明さん(のち巨人ほか)、若生照元さん(のち大洋)が達成していた。

 このあと周囲やマスコミの方から「プロに行けるんじゃないの」みたいなことを言われ始めたが、僕はいつも「いやいや、無理ですよ」と言っていた。謙そんとかではなく、そのくらい遠い世界のことだと思っていたからだ。

 ただ、あの試合から、僕の考え方が変わった。1つ結果を出したことで、もう変なピッチングはできないと思うようになった。プライドというのか、同レベル、もっと上のピッチングを継続しなきゃいけない、ノーヒットノーランをたまたまみたいに思われることは恥ずべきことだ、と思うようになった。使命感を持ち、新たなスタートを切らなくてはという、少し新鮮な気持ちになった記憶がある。

 この春、目指すものは優勝しかなかった。中央は順調に勝ち点を重ね、最後になった決戦のカードは・・・

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