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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第13回 王貞治さんにお詫びしたいこと?

 

1980年現役ラストイヤーの王貞治


誘発された? ミスピッチ


 1980年、「世界の王」、現ソフトバンク会長である王貞治さんが現役を引退された。その年に僕は巨人軍に入団。偉大な先輩の王さんと、1年間だけ同じユニフォームを着てプレーをさせていただいたことは、とても光栄であり、僕の野球人生の中でも貴重な体験になった。これまで巨人の投手としてマウンドに立ち、一塁を守る王さんをバックに投げた投手はたくさんいるが、この年の新人で唯一、一軍登板を果たした僕は、その中の一番最後の投手になったと言えるだろう。

 現在では、オープン戦と言えば開幕前の2月、3月に行われているが、僕が入団したころは秋の季節にもオープン戦が組まれることがあった。この年の11月ごろだったか、場所は熊本の藤崎台球場、相手は阪神だった。この試合が、この年の巨人の最後のゲーム、つまり王さんの引退試合だった。

 球場は満員のお客さんで埋まった。僕は二番手として登板。オープン戦とは言え、王さんの引退試合の勝ち投手になった。9回に王さんが生涯最後のホームランを打ち、僕はその放物線を目に焼き付けた。ゆっくりとダイヤモンドを一周する王さんを僕たちナインはグラウンドに一列で並んで迎えた。

 試合中、西本聖さんが「王さん、試合が終わったら、記念に王さんのファーストミット、僕にいただけませんか」と大胆なお願いをした。王さんは「ああ、いいよ」と快諾。試合後のセレモニーでは、王さんは自分の愛用の「jun ishii」のバットを左打席に静かに置き、そして一塁キャンバスへゆっくりと歩み寄り、愛用のファーストミットをその上にそっと置いた。

 世界の王の最後の姿を僕は目の当たりにし、胸がジーンとしたのを今でも忘れない。試合後、約束どおりファーストミットを渡された西本さんは、王さんのファーストミット抱えて、「もらっちゃったー! やったぁー!」と自分が完投勝利をしたときのようにロッカーで一人興奮していたのも思い出す。

 僕と王さんの“初対決”は、この年の宮崎春季キャンプだった。僕は新人ながらいきなり、紅白戦で紅組の先発を命じられた。紅組ということは対戦相手は白組、要は一軍の主力ラインアップに対して投げることになる。一番・松本匡史さん、二番・高田繁さん、三番・シピン(ジョン・シピン)……。ウォー! みんな本物だぁ。そして、「四番、ファースト王」!! さすがに緊張した。

「プレイボール!」がかかり、試合開始。この年からスイッチヒッターに転向した松本さんを見逃しの三振に打ち取り、そのあと高田さん、シピンを打ち取り3者凡退。1回を0点に抑える。そして2回、王さんとの対戦……。王さんは身長177cmだが、もっともっと大きく、大男のようにデカく見えた。特に太ももの太さ、下半身の大きさに驚いたのを覚えている。

 一本足打法で右足を上げてタイミングを取った瞬間・・・

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