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香坂英典コラム 第16回 尊敬する2人の先輩のとっておきの話

 

右が堀内恒夫、左が加藤初。堀内はV9巨人のエースとして活躍し、通算203勝。現役が83年まで。加藤は76年に太平洋から巨人に移籍。90年までプレーし、通算141勝を挙げた


「真室川音頭」の鼻歌


 今回は、僕が現役時代にお世話になった2人の先輩の話をしたい。

 1人目は、2016年に亡くなられた加藤初さんだ。しばらくご無沙汰していたところで訃報を聞き、びっくりした。あだなは鉄仮面。無口でいつも表情を変えないからだ。

 本当に優しい先輩だった。玉澤のグラブを「投手用の用具では一番いい」と勧めてくれたのも加藤さん。それからずっと玉澤を使い続け、今も大事に持っている。

 同じ右投げで、目標とするピッチャーだった。僕が入団したときはもうベテランだったが、コントロールがよく、キレがあって、低めの球の精度が高い。変化球の数も多く、何より勝負師だった。カッコよかったなあ。

 加藤さんはクイックモーションがさほど速くなかったが、その分、けん制のテクニックが抜群だった。同じ西鉄(現西武)出身で、当時西武のエースだった東尾(東尾修)さんもけん制球のテクニックは抜群で、まさにこの2人のけん制球は職人芸であった。

 一塁けん制球にはさまざまなパターンがあり、ゆっくりした動作で一度投げてから次は素早く、あるいはセットポジションの体勢で動かず、長い時間ボールを持ってから投げたり……。ホームに投げるのか、けん制球か、どちらに来るか分からない、その一瞬のわずかなタイミングの操作でランナーにプレッシャーを掛け、スタートを切りにくくさせる。

 当時は現在とはボークの判定基準が違っていて、一塁へ体を向けるタイミングを自在に操って、走者の逆を突くようなボークギリギリのけん制を多くの投手が試みていたが、加藤さんは、それが絶妙だった。僕もすごく勉強になったし、身近に最高のお手本があったことはありがたかった。

 加藤さんはキャンプでの休日はいつも温泉に行っていた。なぜかかわいがってもらっていた僕も「行くぞ」と声を掛けられ、一緒についていった。宮崎であれば霧島温泉にもよく出掛けた。

 最初は「よほど温泉が好きな人なんだな」と思っていたが、そうではなかった。右手中差し指の血行障害に苦しみ、温浴治療として行っていたのだ。しかし、加藤さんは何も言わなかったので、僕もまったくそのことを知らずにいた。

 何回か温泉巡りをしてからだが、温泉につかりながら「触ってみろ」と言われて加藤さんの中指を触ると、すごく冷たくてびっくりした。そこで初めて「俺、血行障害でさ」と教えてくれた。とても苦しんでいた加藤さんは、その後、血管の移植手術を受け、見事によみがえり、そのあとも巨人の優勝に大きく貢献する。

 温泉に入ったあとは・・・

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