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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第18回 二軍遠征試合の思い出(後編)

 

若手時代、巨人の先発三本柱と[左から江川卓定岡正二西本聖、筆者]。ちなみに一軍の彼らは今回の話とほぼ関係ない


勝負ごとは勝たなくちゃ


 1週空いてしまったが、前回の続きで僕の二軍時代の遠征の話をしよう。

 まずは九州だ。イースタン・リーグのジャイアンツが九州遠征というと不思議に思うかもしれないが、僕が入団した1980年には西武ライオンズとの10連戦があった。西武は79年に福岡から埼玉に移転した球団だから、九州にまだ何らかの関係が残っていたのかもしれない。

 福岡、久留米、鳥栖、熊本、佐賀、島原などを回ったが、このシリーズ、われわれジャイアンツは苦戦を強いられた、というか、散々な戦績となる。終わってみれば1勝9敗と西武にいいようにやられてしまい、屈辱と疲労だけが残った。思い出したくもない試合もあったが、その試合内容は壮絶で、いくつかは今も記憶に残る。

 熊本藤崎台球場、熊本城郭内にあり、左中間スタンドに大きな楠の樹木が生えている歴史ある球場だ。昔の野球場には珍しくセンターが121メートル、両翼が99メートルと大きな球場である。巨人の先発は僕。マウンドに上がるとホームプレートまでがなぜか遠く感じた。ボールが走らず、コントロールには自信のあった僕が制球を乱す。痛打を浴び、3回も持たずに降板。試合をつくれなかった僕の失敗があとあと響き、試合は大味で時間ばかりを費やす乱打戦と化していく。

 皆に迷惑を掛けた僕はネット裏のスコアラー席でスコアを付け、頭を冷やしながら試合を見ていた。西武打線の勢いは止まらず、次々加点していく。試合時間は自然と長くなり、しかも迎えた6回表、西武の攻撃前のイニング間の投球練習中、投手の手からボールが離れたあと、ナイター照明が突然落ちた! 投手が誰であったか思い出せないが、キャッチャーはルーキーのドラフト2位・山崎(山崎章弘)だった。

 一瞬で辺りは真っ暗になる。20分くらいの長い停電のあと、再点灯。この停電で潮目が変わったのか、巨人打線が息を吹き返し、西武に追いすがる。9回裏、巨人最後の攻撃、得点は14対11と巨人が3点差まで迫っており、なおも二死満塁、一発が出れば「逆転サヨナラ満塁ホームラン、お釣りなし」の場面だ。

 バッターボックスには沖縄生まれで宮崎県・都城高出身の捕手、ルーキーの与那城(与那城隆)、西武のマウンドは沖縄・石川高出身の糸数(糸数勝彦)と、土壇場で沖縄県出身同士の対決になった。停電、乱打戦ということもあり、試合時間はすでに4時間を超えている。そして、与那城がとらえた打球は一直線にレフトスタンドへ!

 大きい! レフト後退、なおも後退、そしてレフトが塀際でジャンプ!……。捕った! 試合終了──。

 あとわずか・・・

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