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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第19回 マッキーの完全試合の舞台裏

 

記念ボールを手にポーズを取る槙原


1球で静まり返る


 マッキーこと槙原寛己がドラフト1位で入団した1982年シーズン、僕はまだ現役選手だった。

 当時、藤田元司監督は将来のエース候補として期待されていた槙原を二軍でしっかりと鍛え上げ、体づくりをしてから一軍デビューさせるという方針を立てていた。体は細く、やはり高校生の体でしかなかった槙原は俊敏性、柔軟性には欠けていたが、持久力には長けており、長距離を走らせると目を見張る馬力を見せる。まさに未完の大器という印象を持たせる典型的な投手タイプの体つきの選手だった。

 ピッチングとなると周りの度肝を抜く抜群に速いストレートを投げた。ややボールは荒れ気味でボール球が先行する傾向はあったものの、そのストレートを見たら誰もがその球速に驚いた。とにかく全身の関節の使い方がうまく、打者はボールが見にくく、どうしてもタイミング的に差し込まれてしまうという、投手として最高の投球技術も持っていた。

 同年、スロー調整で仕上げていった槙原が二軍戦で二番手として登板した。相手は日本ハム。場所は多摩川日本ハム球場。河川敷にあるこの球場はセンター後方に東急線が通る鉄橋があり、その車両の色が銀色に塗られ、投手の後方にこの光った車両が通過すると、打者は眩まぶしくてボールがとても見づらくなった。その都度審判がタイムを掛けて試合が中断し、試合進行の妨げになる厄介な場所だった。

 その試合は巨人が先行され、わずかに日本ハムリード。日本ハムベンチはリードしていることもあり、活気がある。ここで「ピッチャー、槙原」のアナウンスがあり、ルーキーの槙原がマウンドに上がった。すると「いいのかぁ、こんな若いのに投げさせて」、「大丈夫かぁ、このルーキーは? ストライク入るのかぁ」という相手を見下ろしたヤジが一斉に飛んできた。槙原は帽子のつばを握ってキリリと深くかぶり直し、投球練習の第1球を投じた。「バシッ!」。とてつもない切れと速さで捕手の構えたアウトローのコースに一瞬で速球が収まる。そのとき日本ハムベンチは、シーン……。

 あんなに威勢の良かった日本ハムの選手たちが、その1球を見て、一瞬で静まり返った。2球、3球と投球を続ける。日本ハムベンチは静まり返ったままだ。速かった、本当に速かった……。僕もちょうど一軍から落ちてきていたばかりなので、忘れることのできない“生マッキー”の強烈な第一印象になった。

 マッキーはもう10年もプロで投げているようなマウンドさばきで、日本ハム打線を軽くほうきで掃くようにさらりと抑え、予定されていた2イニングが終わると、ゆっくりとマウンドを降り、次の投手にバトンタッチをした。

 のちに偉大な記録を残す槙原だが、試練もあった。有名なシーンと言えば、そう、甲子園バックスクリーン3連発……(85年4月17日の阪神戦)。僕は当時、チーム付きのスコアラーとして甲子園球場のネット裏でチャート(配球を記録する用紙)を担当していた。

 バース(ランディ・バース)、掛布雅之さんが・・・

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