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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第21回 松井秀喜との話 その1「第1号サインを僕が持っている理由」

 

仮契約を終えた松井が「巨人軍」と書いた第1号サインを手に


ドラフトでへたり込んだ?


 5打席連続敬遠を受けた星稜高校の四番打者・松井秀喜君が、4球目の投球を見送り、顔色一つ変えずバットを置いて一塁ベースに速やかに走る。甲子園球場はファンの罵声が飛び、メガホンなどがグラウンドに投げ込まれ、騒然となっていた。

 一方、ここ東京ドームではナイトゲームの試合前練習が行われており、打撃練習を終えた選手たちは、代わる代わる選手サロン(選手食堂)のテレビの前で足を止め、この連続敬遠の始終を食い入るように見ていた。広報の職にあった僕は、打撃練習中はグラウンドに立つことが多かった。時折選手サロンのテレビでニキビ面の星稜高校の四番打者をチラリと見るくらいに過ぎず、5打席連続敬遠か……、勝利至上主義だなぁなどと呟いていた。

 なぜならば、甲子園大会の開会式では球児を代表しての選手宣誓があるが、あの文言は確か「われわれ選手一同はスポーツマンシップに則り、正々堂々と試合をすることを誓います!」じゃなかったっけと思うからだ。

 今思うと僕は高校野球を少し斜めに見ていたような気がする。だから、そのときは「松井」の名も僕の頭の中にインプットされなかった。

 頃は秋……、1992年のドラフト会議の会場にいた僕に、巨人担当のテレビ局ディレクターが「香坂さん、これで長嶋(長嶋茂雄)さん(監督に復帰し、最初の仕事がドラフト会議だった)が松井あたりを引き当てたら、メチャクチャ忙しくなっちゃいますよー」などと他人事のように茶化したが、僕ものん気に「ホントだよなぁ」などとさらに他人事のようにニヤニヤしながらつぶやいていた。

 その瞬間……、「どうぞ、お開けください」の司会者の声のあと、親指を立ててニコリと笑った長嶋監督のサムアップポーズが全国ネットでお茶の間にオンエアされた。そのときドラフト会場に隣接する報道関係控室の片隅で、僕は人知れず全身の力が抜け、その場にへたりこんでしまった。当然、大挙して押し寄せるマスコミの対応が待っているからだ。

 こうして将来の巨人軍の四番打者候補の期待を背負ってゴジラ松井がジャイアンツにやってくることになった。

 それから10年、2002年オフにフリーエージェントの権利を獲得した松井が日本を離れるまで、僕は現場の広報担当者として、彼のそばで何かと立ち回ることの多い日々を送った。少し長くなるが、松井秀喜という人間と接して感じたことや・・・

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