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香坂英典コラム 第22回 松井秀喜との話 その2「孤独なゴジラのために僕がしたこと」

 

入団1年目の宮崎キャンプ。報道陣とファンに常に囲まれていたルーキーの松井


まったく違った大物ルーキー


 星稜高校からドラフト1位で入団したルーキー・松井秀喜。彼がチームの一員として初めて本隊と合流したのが、1993年の宮崎春季キャンプだった。

 松井に対する取材攻勢は激しく、スポーツカメラマンのファインダーは常にゴジラを追いかけていた。僕の使命は常に変わらず、キャンプ運営に支障を来さぬようにメディアの交通整理をすることだが、このときのキャンプは、注目のルーキー「ゴジラ松井」周辺のことでいつも以上にナーバスになっていた。なぜならば僕は松井のことをまだよく知らない。一体どんな奴なのか、どのように接すればいいのか、しっかりとマスコミとの交通整理が今までどおりできるのかなどと考えてしまうようになっていたからだ。

 初日、練習が終わり宿舎ロビーに戻ったタイミングで「囲み」と言われる立ったままで行われる共同取材を行う。これを終えて、松井はとりあえずこのフィーバーから解放され、自室に戻る。僕もホッと一息だ。ところが、ホテルの近くの喫茶店で、松井が松井番の記者たちとお茶を飲んでいるという情報が耳に入った。

 フリータイムは自由なので、何をしようと選手個人の自由だが、ルーキーが初日の練習後に番記者数名とティータイムなんてのは聞いたことがない。僕は番記者の一人に言った。「松井との取材は球団がタイミングを見て設定するので、それ以外で松井を連れ出すようなことはしないでほしい」と……。

 するとその記者は「いや、話を聞く時間を取ってもらってますし、原稿もできて助かっています。でも、お茶を飲もうと言ったのは松井のほうなんですよ」。練習後に記者を連れてお茶を飲むなんて、ベテラン選手がやることで、ルーキーがキャンプ初日にそれをやるなんて、僕は聞いたことがなかった。いやいや、これから僕は松井秀喜には驚かされること、信じられないことなどをたくさん見せられたり、聞かされることになるが、そのときは思いもよらなかったのである。

 高校出のルーキーは松井一人が一軍スタートとなった。当時のキャンプ宿舎は、選手は全員一部屋2人が原則であり、松井はベテラン篠塚部屋の部屋子となった。しかし、いきなり篠塚和典(篠塚は僕と同い年)が僕を自室に呼び「おい、香坂、松井は何とかならないのか」と目を三角にしている。聞くと「朝は俺が起きても起きない。カーテンは開けない。挨拶(あいさつ)もしない」といった具合らしい。

 ふーん、そういう奴なのか、この松井という男は……と思った。

 インタビューを聞いていたりすると・・・

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