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香坂英典コラム 第24回 松井秀喜との話 その4 恐るべき小樽の夜?

 

マジメな話が続いたが、今回は松井と筆者の笑える話を[左に筆者がチラリ。1995年]


もう食べられない……


 ここまで3回は、松井秀喜という青年の等身大の素顔について書いてきたが、僕が松井を書く以上、これだけで済ませるわけにはいかない(?)。今回は、松井秀喜とのへんてこりんな笑い話を紹介することにしよう。

 毎年恒例の札幌シリーズ、爽やかな緑に囲まれた円山球場は毎年のように超満員となる。北海道のファンもわれわれの試合を心待ちにしてくれ、選手の誰もが楽しみにしている地方ゲームでもある。

 3連戦の最終ゲームがデーゲームで終われば、名残惜しく、僕たちは早々と身支度を整え、夕刻の飛行機で、この北の地をあとにするのが通例。しかし、このときは日程の関係で札幌にもう一泊し、翌日に移動という今までにない稀なケースとなっていた。

 僕は特に外出する予定もなく、ホテルでゆっくりしようと思っていた。そのときホテルの廊下で、すれ違ったトレーナーの鴇田忠夫さんが「予定がないなら、こちらの知り合いと食事に行くから一緒に来るかい」と僕に声を掛けた。「誰かほかにいるなら、声を掛けてもいいよ」と言っている横をゴジラが通りかかり、結局、鴇田トレーナー、小俣進監督付広報、僕、そしてゴジラの4人で出掛けることになった。

 鴇田さんの知り合いは小樽に住んでいるとのことで、僕たちはタクシーに乗り込んだが、タクシーが中型で体の大きな僕らはギュウギュウ詰めの状態に。タクシーの運転手さんは「小樽まではほんの40分くらいだから、すぐそこですよ」と言うので、その言葉を鵜(う)呑みにして乗ったのはいいものの、体の大きい僕らは、その殺人的な狭さに声も出ず、小樽まで運ばれた。地方の方が言う「すぐそこ」とか、「信号一つ」などという距離の表現はそのまま受け止めないほうがいい(笑)。

 小樽に着いた。「フゥー」と息を吐き、狭い車内から解放された僕らは・・・

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