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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第30回 短かった選手生活……。最後は四十肩で引退?

 

背番号31時代、後楽園で一軍登板の筆者


おかあさん! の絶叫?


 1980年、プロ野球選手としてのスタート。生活の場は巨人軍寮、鍛錬の場は多摩川グラウンドだ。大先輩である柴田勲さん作の「多摩川ブルース」の時代ほどではないが、つらく厳しく、また毎日が驚きの連続だった。

 まずは巨人軍寮での生活、それは面白い日々でもあった。寮長は以前にも連載で触れた「鬼の武宮」こと武宮敏明さんだ。最初に驚いたのは、寮から多摩川に向かうバスの中だ。「あれ、みんな座ってる」……。『巨人の星』(スポ根漫画&アニメ)だと、選手は皆、座席には座らず、つま先で立っていたからだ。僕だけじゃなく、当時入団した選手たちは、巨人軍とはそういうものだと思い込んでいた(笑)。

 寮生活は厳しいものだったがそればかりではない。見るもの、聞くものすべてビックリ、シャックリ、トンチンカン。すごかったのは武宮さんの個性というのだろうか……。朝の起床時間……。寝坊助たちの爆睡モードは寮内の隅々まで轟く館内放送で吹き飛び、僕らはたたき起こされる。それもマイクのボリュームはMAX。「起床! 起床!」もちろん寮長の声だ。と言う前に「フー! フー!」とマイクに息を吹きかける。マイクがオンになっているかどうか確かめるためなのだろうがこの音が耳をつんざき、この「フー! フー!」だけで、すでにもう起こされていた。

 寮生は全員玄関に集合、寝ぐせはそのまま、もちろん寝ぼけ眼である。隣接するサッカー場(現在はよみうりヴェルディのグラウンド)まで散歩に出掛ける。ジャージーのポケットに両手を突っ込んだまま、相手の目を見ず、「ウィース……」なんてユルいあいさつをしようものなら、鉄拳ならぬ竹刀の洗礼が飛ぶ。

 サッカー場に着くと、僕らは武宮さんに指示され、三列縦隊で行進をした。「しっかり歩調を合わせろ!」。ザッザッザと歩調が合い、行進となった。そして、武宮さんは言った「ここはお国を何百里……と歌え!」と。えーっ? お、お国ぃ? それって、軍歌だよな? 「ほれ、歌わんか!」。武宮さんはさらに発破を掛ける。モゴモゴとはっきりしない口調で僕らが歌うと「こら、しっかり歌わんか!」とまた怒鳴られた。軍隊の行進のようだ、いや僕らは巨人軍の人間で、今三列縦隊で行進をしているのだから、まさに軍だ(笑)。

 そして軍隊行進? あとの体操を終える。武宮さんが「岡崎(岡崎郁)、お前はどこの出身だ」と聞いた。カオルが「大分県です」と答えると、「大分はどっちの方向だ?」「こっちです」。岡崎はたぶんテキトーだとは思うが自分が思う方向を指さした。武宮さんは「よし、そっち向いて、大分の故郷に向かって、おかあさん、僕は頑張っていますと叫べ!」(笑)。僕らは吹き出しそうになったが、そう言った武宮さんもニヤけて笑いをこらえる。カオルは元気良く「おかあさん、僕は頑張っていまーす!」と叫んだ。僕らは笑いをこらえるのに必死だったが、武宮さんはハッハッハーと大きな声で笑っていた(笑)。「何じゃ? こりゃ」「エライところに入ってしまったぞぉ!」(笑)。

 この年のオフ・・・

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