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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第32回 いろんなヤツがやって来た 助っ人編2 レジー・スミス、キース・カムストック、ダン・グラッデン

 

レジー・スミス。1945年生まれ。MLBではレッドソックスなどでプレーし、通算2020安打、314本塁打をマークした。83年巨人に入団し、84年までプレーした


教え魔のレジー先生


 1983年に来日したレジー・スミスはバリバリのメジャー・リーガーだ。レジーさん、いやレジー先生とも言われ、「教え魔」と称されるほど、指導力旺盛な助っ人だった。豊富な実績とそれを裏付ける理論は多くの選手にとって勉強になり、その指導は願ってもないものだった。

 僕が初めてレジーを見たのは81年のアメリカ・ベロビーチでの海外キャンプだった。フロリダのドジャー・タウン内の打撃マシン場。早朝5時、数台ある打撃マシン場は多くのマイナー選手たちが列をなしていた。僕は毎朝、彼らのマシン打撃の音で目を覚ました。このマイナーの選手たちのハングリーさは見習わなければいけない。

 しばらくすると、バット2本を携えた大男がマイナー選手たちの列をかき分けて練習場に入ってきた。レジー・スミスだ。そのまますぐにマシンの球を数十球打つ。スゴイ迫力だ。周りのマイナー選手はじっとそのスイングを見つめていた。

 僕は途中で割り込んできて、自分の練習をしちゃうのかと思ったが、そうではなく、レジー先生は多くのマイナー選手たちを前に打撃指導を始めた。レジー先生の話は打撃指導だけに及んでいたわけではなく、筋力トレーニングの指導もしてくれた。投手の僕もダンベルトレーニングを教わった。4キロのダンベルを使い、上半身、特に肩ヒジの強化を目的にするものだ。僕は忠実にそのトレーニングを実践し、一冬で上半身のサイズアップに成功して、翌年はユニフォームの上着がきつくなった。ユニフォームの上着の一番上のボタンを外していたのは、カッコつけていたのではない。

 レジー・スミスの打撃練習は圧巻だった。後楽園球場のバックスクリーンに左右打席でそれぞれ、何本続けてホームランをぶち込めるかという度肝を抜くもので、それに毎日挑戦していた。当時のアメリカと日本の長打力レベルの差を感じさせる一流の証しを見せた。

クレイジーな近距離ノック


 投手で僕が印象に残っているのは、85年にやってきた先発技巧派キース・カムストックだ。2年間だけのプレーだったが、スクリューボールを駆使し、シーズン8勝したサウスポー。ニックネームは「カミー」。遠征試合のバス移動中、僕は拙(つたな)い英語で彼と話したことがある。

「僕はもともと右利きなんだ。食事でナイフを持つのも、ペンも持つのも、ボールを投げること以外はすべて右利きなんだ。でも、子どものころ、お父さんが投手をするなら左で投げるほうが有利だから右手は使うなと言って、右手を使えないように体に縄で縛り付け、常に左手を使うようにされたんだ。そう、寝るときもだよ(笑)。

 毎日、不自由でつらかったけど、僕はそれで頑張ったよ、おかげで今がある。大好きな野球を仕事にできて、こうして日本にも来れた。お父さんには感謝しているよ。僕は野球が好きで好きでたまらないんだ。現役を辞めるときが来ても、ずっと野球に携わっていきたいんだ。アメリカだって、日本だってどこででもいい、コーチだって、スカウトだって、グラウンドキーパーだって、なんだってやる」

 へえー、オヤジはアメリカ版、星一徹だぁ。そういえば・・・

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