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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第34回 いろんなヤツがやって来た 助っ人編最終回 ウォーレン・クロマティ

 

ウォーレン・クロマティ。1953年生まれ。MLBエクスポズから84年巨人入団。1年目から35本塁打を放ち、89年には打率.378で首位打者、さらにMVPにも輝く。90年限りで退団し、MLB復帰


ヤンチャな兄ちゃん


 書き出すといろいろ思い出し、外国人編もいつの間にか4回目となったが、今回がひとまず最終回となる。

 数多くの助っ人が日本にやって来たが、その中でも、巨人軍史上最強の外国人助っ人と言われるのは……、そう、ウォーレン・クロマティだ。1984年、クロマティが多摩川グラウンドで初めてナインの前で紹介された。クロマティは両手の親指を絡ませ、指先をパタパタして、鳥のように見せ、「クロマティだ。クロウ(カラス)と呼んでくれ」と言った。ナインとは初対面で、やや緊張気味。ただ、僕の第一印象は何かふてくされている、ヤンチャな兄ちゃんという感じがしていた(笑)。

 練習が始まると、クロウは自分のグラブをそのままグラウンドにポイと投げ捨て、ウオーミングアップの隊列に入ろうとした。ジャイアンツにはグラブを無造作にグラウンドに置いてはいけないというルールがあり、即座に王貞治監督がそれをクロウに注意した。これはグラブを踏みつけて、捻挫などを起こさないようにというケガ防止の意味があり、フロリダのキャンプでドジャースの選手たちが皆、それを実践していたのをジャイアンツも取り入れていたのだ。

 クロウは王監督から直接注意を受けたものの、これと言って反応もなく無視、練習を続けた。厳格な王監督は相手が誰であろうと態度を変えない人だった。日本人選手と同じようにクロウにも接し、厳しくルールを守るように言った。でも、そのときのクロウは何かチームに馴染もうとする素振りがなく、不自然な雰囲気があったのを僕は覚えている。こりゃなんだか生意気なヤツが入って来たなと感じた。

 王監督はこのクロマティに主軸打者としての大きな期待をしていた。そして、王監督の「明日から現場に来てくれ」の一言で、ヤンチャなクロウの目付役、教育係と言うべく、ある一人の人物を現場に呼び寄せた。巨人軍渉外担当補佐である平野博昭さんだった。平野さんは巨人軍入社以前は米国CBSネットワークでTV制作にかかわり、世界中を駆け巡っていた。その後、巨人軍では国際担当として故・正力亨オーナーのMLB関係の窓口の仕事もされており、レジー・スミスヘクター・クルーズに続き、今回のクロマティ獲得にも日米間を奔走、交渉にも携わった。

 そんな平野さんが、王監督の一言でオーナーの国際担当業務の傍ら、チームに付き、クロウのそばで立ち回ることになる。それでもクロウは文句も多い、サインの見落とし、気持ちの入っていないプレーも見せる。平野さんはそんなクロウとヒザを突き合わせ、毎晩のように飯を食い、巨人軍のこと、日本の野球のこと、チームメートのことなどを伝え、喧嘩(けんか)もし、激励もし、クロウのモチベーションが下がらないように常にサポートした。

 そして、平野さんを呼び寄せた王監督のこのスタッフ人事はやがてクロマティを覚醒させる。クロウはもともとはアベレージヒッターであるにもかかわらず・・・

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