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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第36回 巨人軍の広報がヒマなんて絶対あってはならない

 

2000年宮崎春季キャンプでの筆者[左]と江藤


広報は体力勝負!


 時代は巡って、現在のプロ野球のチーム付き広報担当者の業務内容と、われわれの時代の業務内容は様変わりをしているのだろうとは思うが、当時の僕の現場での仕事内容はどのようなものであったのか、読者の皆さんはあまりご存じないと思う。忙しかった日々を思い出し、一部でありますが、ご紹介したい。まず現場広報の心掛けることとしては「多くのプロ野球ファンと選手の橋渡しであるメディアによる取材、出演などの依頼案件を試合や練習などを含めたチーム運営が円滑に行えるように配慮しながら、スムーズに交通整理する」ということになる。

 僕が着任したときは監督が藤田(藤田元司)さん、主力選手は原(原辰徳)、吉村(吉村禎章)、岡崎(岡崎郁)、駒田(駒田徳広)、川相(川相昌弘)、斎藤(斎藤雅樹)、桑田(桑田真澄)、槙原(槙原寛己)らが活躍している時代。そして、僕は前任の広報担当者から引き継ぎを受け、「巨人の広報の仕事はマスコミから選手を守ること」と教えられた。

 当時の巨人人気はすさまじいものがあり、勝って当たり前、負けるとマスコミにはたたかれる。ファンの大きな期待に応えられなかったらたたかれることは当然だが、そういう意味では加熱するマスコミ報道に耐えて、巨人軍というチームは結果を残していかなければいけないのだ。だから巨人広報は内部的には「守りの広報」と言われた。われわれ当事者の気持ちを慮(おもんぱか)れないオエライさんには「広報は自衛隊だ」なとど揶揄(やゆ)されることもあったが、懸命に働いている僕らにとっては簡単に聞き流せるジョークではなかった。

 まずは1月、僕は春季キャンプの報道関係者受け入れの準備の傍ら、選手が自主トレーニングを開始する時期でもあるので、各選手の自主トレ開始日にはその現場に出向き、報道関係者の記者会見などの仕切りをする。この時期は・・・

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