野球センスの塊だった元木。91年、ドラフト1位で巨人に入団し、05年まで現役を続けた
広報スタート時の縁
1984年、結果的にわずか5年という短いプロ野球選手人生を終え、巨人軍の裏方として第二の人生を歩み出した僕は、打撃投手とチーム付きスコアラーを兼任する仕事に就く。そして、その翌シーズンには「先乗りスコアラー」を命ぜられ、6年を過ごすことになる。仕事も板につき、大変ではあるが毎日が楽しく、この偵察という仕事が何よりも自分の勉強になり、チームの勝利に少しでも貢献できるかもしれない、それはこの上ない喜びでもあった(先乗りスコアラーの仕事内容や一人で思い出に残る試合などの話は、あらためて「先乗りスコアラー編」でお伝えしたい)。
先乗りスコアラーとして4年が過ぎたシーズンオフ、当時の現場チーム付きであった今沢(今沢正史)広報にオフィスで呼ばれた。
「香坂、上宮高校の元木君、知ってるか?」
今度のドラフト会議で上位指名されるであろう人気のある高校生だ。へぇー、あの元木かぁ、ウチが指名するのかと思ったが、僕は
元木大介と言えばなかなかのイケメン、それはそれは女子高校生の間ではスゴイ人気であるのと、甲子園ではピッチャーフライを打ち上げた際に一塁へ走ることを怠り、監督に大目玉を食らった選手ということぐらいしか知らなかった。
今沢広報は続けて「今度のドラフトで、その元木君をもしウチが獲得したら、彼には専属の広報が必要だと考えている。そのときは君に元木君の専属広報をやってもらいたいと思ってるんだが……」。はぁっ? ぼ、僕が広報? ですかぁ。突然だったので驚いたが、僕は間髪入れず、その場で返答してしまった。
「広報と言うのは、報道関係者の窓口ですよね」
僕は入団以来、巨人軍を取材する多くのマスコミの仕事ぶりは実際に見て知っており、何か異常なほどの熱を帯びた世界であったと感じていた。「せっかくいただいたお話」とか、「ありがとうございます」とかの言葉よりも先に僕は「日本のスポーツのトップメディア、そして海千山千の記者が集まる現場を仕切るのが広報の仕事ですよね。当然、僕は経験もないし、そんな大役、到底できない仕事ですよ。不安過ぎて絶対に無理です。勘弁してください」と答えてしまった。
今ようやく脂が乗ってきた先乗りスコアラーの仕事を・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン