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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第45回 聖地? 多摩川グラウンドの裏話(前編)

 

80年代前半の多摩川グラウンド


 「巨人軍多摩川グラウンド練習場」……。

 プロ野球の選手として、多くのファン、子どもたちの夢を叶えるべく未来のスターになることを目指し、切磋琢磨した試練の場、その大きな大志を胸に、汗にまみれ、猛練習に耐える聖地。もう今は、そのグラウンドに立つ者はいないが、今も多摩川の土手の堤を越えて、眼下に広がる景色を見れば、あのころのさまざまな思い出が思い起こされる。

 僕の目に映る多摩川グラウンドは今も当時のままで、タイムスリップしたような錯覚に陥る。だが「聖地」? などとは誰が呼んだのだろう……。僕らにとっては「聖地」などではなかった。ただただつらい練習に明け暮れた場所だった。今思い出す、その多摩川グラウンドにまつわる話をしましょう。

雪で湿った足先


「ハーイ、並んでぇ!」

 二軍の選手たちが一塁線のライン上に等間隔で並び、一斉にグラウンドの石拾いを始め、ここから練習が始まる……。草むしりもしかり、当時はプロ野球選手とはいえ、そんなことも選手に課せられた。そういう時代だった。河川敷に鉄製の網が張られ、囲まれたエリア、これが多摩川グラウンドだ。建造物と言われるような大きなものはなく、一塁側、三塁側にプレハブ製の小さいダグアウトが2つ、一塁側に学校の運動会で見るような自立式のテントが3つ、雨露をしのぎ、日差しを遮さえぎるものはそれしかない。あとは当然バックネットはあるが、センターのバックスクリーンは風を通す網製の布スクリーンをウィンチで引き上げた簡易的なものだけという構造だ。

 メーンで試合の行われるAグラウンドとサブで使うBグラウンドの2面に加え、人工芝の張り巡らされた内野守備専用のグラウンドを入れると全部で3面、Bグラウンドは使いようによってはもう一面も使えるとても広いものだ。鍛錬の場として使えるスペースの広さは申し分ない環境であり、練習をする立場の僕らにとっては、恐ろしくもあり、本当に困った場所だった。

 今から40数年前、当時はここ多摩川でシーズンインである2月1日よりも10日ほど前に「合同自主トレ」と称して、一、二軍選手全員が集合し、トレーニングが開始された。その初日、多摩川の遮蔽(しゃへい)物がない河川敷は寒風が吹き抜け、体感温度は2度も3度も低く感じさせるとても寒い日、われわれ選手たちがウオーミングアップを開始した。

 1時間半ほどのランニングメニューのすべてを終え・・・

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