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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第51回 長嶋監督から学んだこと(前編)

 

長嶋氏は選手として監督として日本中の野球ファンを魅了した


 2004年3月4日、本当に信じられないことが起こった。悪夢のような出来事……。長嶋茂雄監督(このときはすでに退任され、巨人軍終身名誉監督となっていた)が脳梗塞という生死にかかわる突然の重病に倒れた。

 神田錦町にあった巨人軍球団事務所の一階にある記者室は大勢のマスコミでごった返していた。階上のフロアでは土井誠球団社長以下、巨人軍幹部は緊急事態の対応に追われる。日本中の多くのファンがスーパースター、ミスタープロ野球・長嶋茂雄終身名誉監督の容体を心から心配し、われわれもそれにかかわる確かな情報を待っていた。緊迫した時間が過ぎてゆく中、監督は奇跡的に一命を取り止め、のちには非常に危険だった状態を脱し、超人的な回復を見せた。そして、常人では考えられない過酷なリハビリに励むようになる。僕は監督が病床に倒れた3年後、監督宅にお邪魔し、挨拶(あいさつ)をさせていただく機会があった。しかし、監督は僕の顔を見てもなんの反応もなく、その病気のダメージの大きさを知り、とても悲しい気持ちになった。

 2008年、僕は新たにプロスカウトの仕事に就いた。主にトレードのための他球団選手の調査を行うことになり、自分のチームの本拠地である東京ドームにはなかなか顔を出せないサイクルの生活になっていたが、ある日たまたま立ち寄ったドームで監督にお会いできるチャンスがあった。長嶋終身名誉監督付きである所(所憲佐)さんが廊下で監督に引き合わせてくれたのだ。「監督、香坂は今、プロスカウトをしているんですよ」と切り出してくれると、監督はニコッと笑って「おお香坂、元気かぁ〜」と言ってくれた。

 ああ、あの口調だ! 僕のことを覚えてくれていたんだと思うと涙が出るほどうれしかった。そして「うん? どうだぁ〜。良いのはいるかぁ〜」と僕の仕事について聞かれる。僕はうれしさの余り「ハイ、なかなか松井(松井秀喜)みたいのがいなくて」とおどけると、「はっはははー、なぁに言ってんだ、バカ野郎〜」と笑いながら歩いて行ってしまった(笑)。

 僕は・・・

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