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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第59回 わが弟? デーブ大久保(前編)

 

ドラフト1位で85年に西武に入団した大久保だが、西武では出番に恵まれず。92年途中、巨人へ移籍。いきなり打ちまくって旋風を起こした


いきなり6月の月間MVP


 数えてみれば、今からもう30年も前の話になる。1992年5月、巨人・中尾孝義、西武・大久保博元の一対一トレードが成立、発表となった。

 トレードにはさまざまな球団の思惑や戦略、事情などがあるが、このトレードは同じ捕手同士が交換される形のもので、中尾さんは経験豊かなベテラン捕手、大久保はまだ実績のない若手捕手であり、一般的に見れば釣り合いの取れたトレードとは言えないものであった。

 これは大久保と同郷の茨城県出身だった西武・根本陸夫管理部長が主導で、同管理部長の大久保に対する親心によるトレードだったということが、のちにわれわれの知るところになる。ジャイアンツは捕手陣強化という課題があったが、大久保は類(たぐい)まれな打撃力を持った打者としての評価が高かった。特にこのころ右打者の需要も足りていなかったジャイアンツにとって、大久保のような右の長距離打者の加入は必須と言われているときでもあった。そして、この大久保の打撃が巨人軍に大きなセンセーションを巻き起こす。

 大久保は本来は気性が荒く、攻撃的な打者ながら、性格的には明るく、人懐っこい性格ではあったが、巨人軍の敷居をまたぐと、なぜかと借りてきた猫のようにおとなしい振る舞いをしていた。しかし、西武在籍中に訪れたアメリカのマイナー・リーグ留学時にデーブら若手西武選手を引率していた和田(和田博実)コーチから命名された「デーブ」(太っていたので、デブからデーブへ)というニックネームの馴染みやすさもあって・・・

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