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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第61回 先乗りスコアラー編01「敵を信じてはいけない」

 

筆者はスコアラー時代、広島・大野にまんまとだまされた[右。左は津田恒実]


ペンダコにびっくり


 スコアラーとはプロ野球の世界ではまさに「スコアを付ける人」ということになるのだが、通常の試合ではベンチ入り人数枠には1席のスコアラー枠があり、当時のジャイアンツのベンチ内ではその枠でマネジャーの所憲佐さんがベンチ入りし、いわゆるスコアブックに戦況を記入する役目を務めていた。かたやチーム付きスコアラーの小松俊広さんは毎試合、ネット裏中央のスコアラー席に陣取り、戦況を見つめ、自軍そして相手チームの戦いぶりを克明に記録する。そしてチームには付かず、対戦相手チームの試合に「先に行って偵察する」役目が、僕がのちのち経験することになる先乗りスコアラーだ。スコアラーは大きく分けて「チーム付きスコアラー」と「先乗りスコアラー」の2つに分かれていた。

 僕が1985年に球団職員となり、初めに就いた仕事がスコアラーだった。ただ、僕の場合はチームに付いて打撃投手も兼任するという形であり、チーム付きスコアラーではあったが、まあ、実際は打撃投手をしながら、スコアラー業はお手伝い程度という仕事内容であった。当時のチーフスコアラーは高橋(高橋正勝)さん、そしてチーム付きスコアラーとしての一軍の一切のスコアラー業務を担っていたのは小松さん、先乗りスコアラーとして井上(井上浩一)さん、樋澤(樋澤良信)さん、映像担当として穂満(穂満正男)さんの5名の先輩スコアラーの一番下に僕がいるという構成だった。

 小松さんは投手として巨人軍に入団、高校時代は高知商業高のエース左腕として選抜甲子園大会決勝で早稲田実業のエースであった王(王貞治)さんと投げ合い、雌雄を決する戦いをした。小松さんは右も左も分からない駆け出しの僕にスコアラーとしてのチームの仕事を丁寧に教えてくれ、僕は小松さんの仕事の補佐を忠実にこなす毎日を送った。僕はそのとき、小松さんの右手中指のペンダコの大きさにびっくりしたのを覚えている。僕は学生時代よりペンを握ることが少なくなっていたが、こうしてスコアラーともなれば書くことが多くなる。当時はパソコンなどない時代で、小松さんのペンダコを見て、新しい仕事に臨む覚悟みたいなものを決めたのを覚えている。

 そして、打撃投手兼スコアラーの1年間が過ぎ、来季からの仕事に「先乗りスコアラー」を命ぜられる。先乗りスコアラーとは最初に触れたように、公式戦でチームが次に対戦する相手チームの「偵察」をするために、一人で先にその試合に乗り込むスコアラー、そう、だから、「先乗りスコアラー」という。自チームに先発してくるだろうと思われる相手先発投手の登板間隔は中5日か中6日が多く、先の1カード(3連戦)よりも、もう1カード前の対戦チームの試合に乗り込んで(6日ないし7日)、主に先発投手から偵察を開始する。先の先の2カード(6連戦)前に乗り込んで主に投手を見るのを「先々乗り」、略して「先々」と呼んだ。つまり、先乗りスコアラーというのは大体1週間くらいのスパンで偵察すべき一つのチームを追い掛ける。

 行動は常に単独であり・・・

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