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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第62回 先乗りスコアラー編02「わがテルテル坊主スタイル?」

 

屋外球場で雨……。選手も大変だが、ネット裏でもひと騒動が


スコアラーって楽しい?


 僕が先乗りスコアラーとして、初めてデータ作成作業を任されたのは、1986年の開幕5カード目の大洋(4月18日からの神宮でのヤクルト戦。25日から巨人戦)だった。大洋は近藤(近藤貞雄)監督の時代、打線のリードオフマンは屋鋪要加藤博一高木豊のスーパーカートリオ、ポンセ田代富雄さん、山下大輔さん、若菜嘉晴さんらがおり、投手陣は遠藤一彦さん、木田勇さん、門田富昭さん、欠端光則中山裕章斉藤明夫さんらだ。

 僕はこの面々に対し、並々ならぬ意気込みで偵察に臨み、1球1球に目を向けた。3連戦の最後の試合が終わると自宅に帰り、早速作業に取り掛かる。次の試合までに1日だけ空き日があったが、僕は2夜連続で徹夜をしたにもかかわらず、その日の朝までにデータを仕上げることができず、データをコピーするために球団事務所に行ってもさらにペンを走らせ、なんとか提出時間ギリギリでデータを仕上げることができた。

 チーフスコアラーの高橋正勝さんにまずデータを見せると、僕の作ったデータに目を通す前に、「大変だったろう、ハハハ」と笑われてしまう。2夜連続で徹夜しましたと言うと「ご苦労さん、まあ、やってるうちに慣れるさ」と軽くいなされてしまった。これからもこんなことを続けていくのかと思ったときは、さすがに気持ちが落ち込んでしまった。それにしても眠い……。ただ、人間必死に物事に臨めば、何とかなるもので「慣れ」の次には「要領」が付いてくることも知るようになる。

 そのころの他球団のベテランスコアラーの方たちは僕の貴重な先生でもあり、若い僕にさまざまなことを教えてくれた。ある西のほうにあるチームのベテランスコアラーは試合中、僕の隣の席で「カーブ……、スライダー……、シュート……」と呟(つぶや)き、ピタリとその球種を当てた。そして「このときにグラブが立っていたらストレート、横に寝ていたらカーブや」とボソッと呟く。えっ? そんなこと教えてくれちゃっていいの? 僕は心の中で呟いた。100%と言って良い確率でその球種が当たる。「しっかり見とれば分かるもんやで。でものぉ、次に放ったときに、またこのクセが出てると思っとったらアカンで。味方も自分とこのピッチャーのクセを見とるんやからな」。

 深い……、勉強になった。僕もそれからクセを探すのが楽しくなり、夢中になって相手投手を見ていた。ただ、このベテランスコアラーが言っていたように、僕が「敵投手のクセ」を見つけて、それをチームに報告しても、自チームとの対戦時にはしっかりそのクセが直されていたことなどはいくらでもあった。さらに、相手投手のクセが分かっていても、それに頼らず打席に立ちたいという打者もいる。相手投手も自分のクセを知っていて、いざ勝負というときにはその自分のクセを逆に利用して相手を打ち取る技を見せる投手だっている。

 18.44メートルの間で対峙する投手と打者の戦いは深いものだ。そこはほかの誰も入り込める域ではない。スコアラーはそれをサポートするだけで、決して「あのときは相手投手のクセが分かっていたから打てた」などとスコアラー自身が公に発言したりしてはいけない。こういうことは・・・

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