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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第68回 素晴らしい出会いから始まったこと 照沼康彦氏編

 

1994年10月8日、リーグ優勝祝勝会。ビールの搬入担当は大変だった


ビールは冷やしちゃダメ?


 野球が取り持つ縁は素晴らしい。子どものころから野球が好きで、ただひたすら野球のことに没頭しながら人生を送ってきた。つらいこともたくさんあったが、そんなつらさがあっても、それはさまざまなところでその縁に支えられていることで頑張れたことを痛感している。人と人との縁は本当に不思議なものである。

 早稲田大学ラグビー部で楕円形のボールを追い掛けていた僕の古くからの友人、照沼(照沼康彦)は大学卒業後、広告代理店の読売広告社に入社し、取締役まで昇進した。僕は現役選手時代に早稲田大学近辺に住んでいたこともあって、当時早大生だった照沼とこの街で知り合った。彼はすでに60歳をクリアしているが、日本ラグビー協会B級コーチ、元早大コーチであり、東京工業大学ラグビー部監督をここ10年余りも務めていて、ベースボール・マガジン社発刊の「ラグビーマガジン」に何度も登場している。彼の前頭部は寂しくなってしまっているが、それは早稲田ラグビー部時代に受けた頭蓋(ずがい)骨や頸椎(けいつい)がきしむような激しいタックルのせいだけではなく、巨人軍絡みの広告関係の仕事で、その修羅場を巧みに立ち回ってきた苦労のせいかとも思えるような、なんとも言えない味のある風貌をしている(笑)。

 1994年10月8日、語り継がれている伝説の「10.8名古屋決戦」、試合終了後の優勝祝賀会(ビールかけ)で使われる大量のサントリービールの搬入は照沼が責任者だった。

「スタッフ総出で搬入、設置するんですけど、試合の勝敗ばかりは分からないので、巨人が負ければ祝勝会場はすぐに撤収、優勝はお預け、また次の日に繰り越しとなると、同じ球場で次の日に優勝の可能性があるときはまだしも、対戦カードが変わり、決定試合地が変わってしまうとなると、すべて一からやり直しなんですよ。まあこれが大仕事で大変だった。とにかく巨人が優勝に王手となれば一回で決めてほしいのは僕らの強い願いだ。何と言ってもつらいのはビールの栓を開ける作業、これが大変なんです……。手首が腱鞘炎になっちゃいましたよ。そして鉄則としてビールは冷やしちゃダメなんですよね……(選手が風邪ひいちゃう)、でも、よくやりましたよ、ホント(笑)」と懐かしそうに当時を振り返った。

 照沼は98年、慶応大学から入団してきた新人「プリンス高橋由伸」のコマーシャル契約にもかかわった。由伸は新人選手としては異例のコマーシャル契約本数5本というモテモテぶりだった。このうちの3本のコマーシャルの広告代理業務を読売広告社が行い、照沼が窓口的存在となって由伸を細々とバックアップした。

 そして、2015年、高橋由伸は第18代巨人軍監督に就任する。就任後・・・

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