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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第81回 プロスカウトという仕事【11】

 

2008年秋のドラフトでソフトバンクから2巡目指名を受けた立岡


立岡は「ターゲットの選手」


 選手にとってトレードは勲章だ。「出される」「放出」という表現がマスコミでは使われ、マイナスな印象を持たれがちだが決してそんなことはない。選手は在籍しているチームの編成上、なかなかチャンスがもらえないケースだってある。力があるのになぜ使われないの? とファンの方たちの意見が渦巻くことだってある。だから僕たちプロスカウトは選手たちの可能性にかけるべく、移籍のチャンスに結び付けられないかという救済の意味も含めて選手を見ている。トレードは成立させてこそ、そのチームのプラスになり、選手本人にも大きなチャンスが与えられることになる。僕も長くプロスカウトの仕事をさせてもらったが、その中でもトレードが野球人生の分岐点になったと言えるケースの話を紹介したい。

 2011年10月、僕はフェニックス・リーグの視察で宮崎市にいた。フェニックス・リーグは主にNPB12球団の二軍選手を中心にしたチームと独立リーグの混成チームや海外からは韓国プロチームも参戦する、言わば「秋の教育リーグ」的なものだ。気候の良い宮崎県で約1カ月間、総当たりで試合を行い、若手成長の大切な期間となる。

 僕はこのリーグで成長を遂げ、来季の一軍でのプレーのきっかけづくりにしようとひたむきに努力する若き精鋭たちに目を向けていた。当時の僕の任務の中にキーワードとして「二塁手の視察」があった。06年オフ、第二次長嶋監督時代の二塁手として活躍した名手、仁志敏久が横浜(現DeNA)に移籍。仁志の代わりとなるべく、ジャイアンツ次世代のセカンドは寺内崇幸中井大介脇谷亮太藤村大介らがレギュラーの座をかけてしのぎを削っていた。

 なおもその争いに加われる選手を探すべく、プロスカウトも他球団からトレードという形でセカンドを守れる選手を見いだせないかという狙いで動く。だが、他球団の二塁手需要もただでさえ高まっており、トレードを完結させるのはなかなか大変なことだった。

 毎日、通う試合には必ず「ターゲットの選手」がいた。その中に重点的にチェックをしたいと思わせる選手もいる。当時ソフトバンク3年目の立岡宗一郎だった。立岡は熊本の鎮西高から08年秋のドラフトで2巡目指名を受け、将来を有望視される新人としてソフトバンクに入団した。高校出身の選手として2年目には一軍初出場を果たし、今回のフェニックス・リーグでさらなる飛躍が望まれ、十分な起用をしていくというソフトバンク育成部の期待も耳にしていた。

 現に僕が視察した試合、すべてに立岡はスターティングメンバーに名を連ね、九番・サードで出場していた。できれば立岡のセカンド守備を見たかったが、4打席を与えられることは立岡にとっても張り切って臨めることであろうし、僕にとってもありがたいことであった。僕の視察スケジュールも立岡チェックに重点を置き、現状をしっかり把握しておく。当時のソフトバンクと言えばセカンドは本多雄一、ショートは川崎宗則と不動のレギュラーで固められており、立岡は1年後輩のドラフト1位である今宮健太とともに次世代の二遊間の後釜という期待を背負っていた。立岡は足が速く、力強く振れるパンチ力のある打撃も魅力で、高校出身ながら、その身体能力の高さとそれぞれの技能をバランス良く兼ね備えた好素材。僕の立岡への評価はざっくり言うと、こうだった・・・

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