筆者がルーキー時、1980年の宮崎キャンプでの堀内
往年のエースの完全無視!?
1996年、グリーンスタジアム神戸で行われた
オリックス・ブルーウェーブ対
読売ジャイアンツの日本シリーズはシリーズMVPのオリックス、
トロイ・ニールの叫びにも似た「ガンバロウ! コウベ!」のメッセージで幕を閉じた。
あれから26年が経った昨年、オリックスは悲願とも言える覇権を再び手にする。
東京ヤクルトスワローズとの精密な戦略がぶつかる好ゲームに日本中の野球ファンは熱狂した。一昨年、昨年と日本シリーズで、その両雄のぶつかり合いは近年稀に見るハイレベルで息をつく暇もない素晴らしい勝負を見せてくれた。本当にありがとう。野球ファンである僕も大きな拍手を送りたい。
その多くのファンの拍手もやがて鳴りやみ、「野球が観たい」という多くのファンの熱い想いのボルテージはゆっくりと下がっていき、シーズンは閉幕となる。だが、再びシーズンオフが明けるとプロ野球界は「球春」を迎える。40年間、プロ野球界にお世話になった僕もこうしたサイクルの中に身を置いていた。
それまで迎えた「球春」の数も40回、プロ野球選手の「正月」とも言われる春季キャンプインの2月1日に降り立った宮崎は今では僕の第二の故郷と言っても過言ではない思い出深い場所だ。今回から初めて宮崎の地に足を下ろしたときのことを思い出し、僕の知る宮崎の話を書いてみる。
宮崎県の、その温暖な気候は日本全国に知れ渡る。59年から始まった読売巨人軍春季キャンプは2023年の今年、65回目を迎える。僕は20年に退団するまでに春季キャンプのほかに秋季キャンプ、公式戦も含めてさまざまな形で宮崎を訪れた。プライベートも入れると、何度この地を訪れたのだろう。1年に2度来たとして、40年間なので、ざっくりとした計算だが80回くらいか……本当にたくさん来た。これを宮崎弁で言うと「てげ、来たとよ(たくさん来たよ)」となる(笑)。
僕が入団1年目の80年、初めて宮崎キャンプに向かう飛行機の出発時の機内、僕が座る席はなんと堀内(
堀内恒夫)さんの隣だった。ホリさんはもちろんまだ現役の選手。席の位置は窓際で、僕は3人掛けの席の真ん中だった。そのとき僕が心の中で発した言葉は「うわぁ、堀内だ」だった。今までテレビでしか見たことのない、あのあこがれの「ジャイアンツ往年のエース・堀内恒夫」が目の前にいる。僕は足の震えを抑え、あいさつ、一礼をした。
しかし、ホリさんは無反応、微動だにせず、僕を完全無視した。そのまま・・・
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