週刊ベースボールONLINE

裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第94回 プロ野球の写真記者と巨人広報の話【1】

 

キャンプで長嶋監督の周りにはファンや報道陣が常に殺到していた


次々に増えたカメラマン


 プロ野球の春季キャンプが四国、九州、沖縄と各地で行われていた。長嶋巨人時代のキャンプが想像を絶する観客数で毎日のようににぎわい、僕の担当していた広報の仕事では日本のスポーツのトップメディアが宮崎に集まった。僕は連日、その取材の交通整理に追われていたが、そんな中で今回はカメラマンの話を書いてみたい。

 カメラマンは、巨人担当として宮崎に長期滞在している記者と同様に各社1、2名が毎日グラウンドに足を運んでいた。カメラマンは新聞、雑誌、そしてテレビと分けられるが、週刊ベースボールのような野球専門誌の老舗と言うべき出版社以外の雑誌カメラマンはスポーツ紙カメラマンらのように常に巨人に「ベタ付き」というわけではなかった。また、そもそも静止画を撮影するカメラマンの正式名称は写真記者と言い、彼らは写真自体を「原稿」と呼んでいた。

 巨人軍の春季キャンプ開始前の事前取材申請を希望する社は、まず通信、一般紙、スポーツ紙(夕刊紙を含む)、雑誌、ラジオ、テレビで約30社。担当者の登録人数は80名強、カメラマンが新聞各社1、2名と計算して第1クールの広報受付者の数は僕の古い手帳に84名と書かれている。このほかにテレビクルーもNHKと民放キー局5社は必ず来ていて、ニュース取材以外の番組別に訪れているテレビクルーもいる。

 ただ、毎日の報道関係者の数は、僕の手帳には記されてない。何のマスコミが来たかは、僕にとって、あまり関係ないことだったからだ。とにかく、大勢来たということに変わりのないことだったからだ(笑)。それに、雑誌関係の取材は単発だったが、当時はまだまだ雑誌の人気は高く、創刊する出版社も多かったため、次々にカメラマンは増えていったのを覚えている。

 僕が巨人軍に選手として入団したころの広報担当者はカメラマンを「パチカメ」、テレビクルーを「テレカメ」などと呼んでいたのを思い出したが、これは広報担当者側が使う業界用語だった。僕が現場広報のときはあまりその呼び方はされておらず、新聞、雑誌のカメラマンを「スティル」(静止画)、テレビカメラマンを「ムービー」(動画)と分類し、新聞記者は「ペン」などと呼んでいた。こうしてメディアを現場で仕切るとなると分かりやすい呼称を使いこなさなくてはならない。そして、メディアの特性に応じてさまざまな専門用語、業界用語も飛び交う中、迅速な業務処理をするためには広報担当者も無知ではいられなくなる。

 僕も14年間の現場広報の仕事の中で覚えたことも多くなった。勉強しなくてはいけないのだが、教えを乞うのは各メディアの巨人担当者だ。分からないことがあればその場で聞く。暇があればすぐに聞く。相手を知らなくては、交通整理だってスムーズにいかないからだ。僕の「先生」たちは、それは、それは丁寧に、それも細かく、熱心に自分たちの仕事の内容、やり方を僕に教えてくれた。

 それにメディアの特性の違いや、ニュース制作過程などに合わせてそれぞれ対応が求められ・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

裏方が見たジャイアンツ

裏方が見たジャイアンツ

ジャイアンツ一筋41年。元巨人軍広報による回想録!

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング