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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第105回こよなく野球を愛す男たちの集団「還暦野球」【1】

 

1980年から4シーズン、ヤクルトで投手としてプレーした片岡[写真=BBM]


1957年世代の“現役”


 セ・リーグのペナントレース最前線で指揮を執る阪神タイガース岡田彰布監督。1957年生まれの僕と同い年で今年65歳だ。だが、伝統ある縦縞のユニフォームに身を包み、試合の戦況を見つめるその姿は年齢を感じさせないものがあり、それは僕らの励みにもなる。

 われら同学年の象徴的存在、岡田もバットを置いて28年が経とうとしているが、現在プロ野球界で今も岡田のように指導者としてユニフォームを着てグラウンドに立っている同学年は、僕の知る限りでは東京ヤクルトスワローズの一軍打撃コーチ・杉村繁、同じく東京ヤクルトの二軍投手チーフコーチをしている尾花高夫くらいになってしまったかと記憶している。

 しかし、そんな中、同い年の仲間でプレーヤーとして今もなお、白球を追い掛けている男がいる。果たして誰で、いったいどこで? それは60歳以上の選手たちが集い、日本各地で大会が催されている「還暦野球」と呼ばれる熱戦の場だ。東京都還暦軟式野球連盟に加盟している「ベーネ・ピノチオ」というチームに所属するその男こそ、今から43年も前にヤクルトに投手として入団した片岡大蔵だ。

 片岡と僕の付き合いは長い。片岡は2022年、球団職員として長年勤めてきた東京ヤクルトを64歳で退団した。83年限りで現役引退後、打撃投手を経て、31歳から64歳までに及んだ33年間の先乗りスコアラー人生を務め上げたのだ。

 片岡は1975年、第57回夏の甲子園で新居浜商高の一塁手として決勝戦の舞台まで進むが、現在、東京ヤクルトのGMをしている小川淳司がエースだった習志野高の前に敗れ、準優勝に終わる。同じく高校球児だった僕は、羨望のまなざしでテレビの画面に食い入るように、その熱戦を見ていた。

 習志野高と新居浜商高の東西対決、片岡は試合途中から一塁手として試合に出場していた。片岡は・・・

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