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裏方が見たジャイアンツ

香坂英典コラム 第108回 審判員がいなけりゃ、野球はできない【2】

 

審判員もさまざまな苦労を重ねながらグラウンドに立っている[写真=BBM]


試合もテキパキ移動もテキパキ


 地方での開催試合となっても、審判員は移動のつらさもなんのその、野球場に滞りなく降り立つ。あれは1987年、「赤鬼」ことボブ・ホーナーヤクルトに来日したシーズンだった。ヤクルト対広島の長崎シリーズ、長崎は当時のヤクルト・松園尚巳オーナーのお膝元であり、佐世保、長崎で連戦が行われたときだった。

 僕も先乗りスコアラーとして佐世保へ。ヤクルトファンは2本のホームランを打ったホーナーの勇姿に酔った。ゲームセットとなれば、僕ら先乗りスコアラーも次の試合開催地・長崎に移動しなくてはならない。すぐに球場を離れないと、帰路に就く多くのファンの人波にのみ込まれてしまう。僕らもそのへんは抜かりがなく、試合終了に合わせてあらかじめタクシーを呼んでおく。だが、このわれわれの行動よりも早く球場を離れたのが、審判員のチャーターしたタクシーだった。

「本当に審判の車はいつも早いなあ」と先を越されたことに驚いた。しかし、この迅速な行動には当然と言うべき理由があった。連戦が多く、審判員のこの過酷なサイクルは4月から10月のワンシーズン、続けられる。この日もゲームが終わった。だが、「やれやれ、お疲れさんでした」などと言いながら、ひと息入れている暇などはない。審判員は数十秒後には、車中の人になっていた。試合もテキパキ、移動もテキパキということが理想なのだ。

 もちろん、球場をあとにした直後のタクシーの車内では、今終わったばかりの試合の「反省会」を行っているのは言うまでもない。正確に、そしてスピード感を持って! この迅速な行動も仕事のうちなのだということを知らなかった。

 87年、星野仙一氏が中日の新監督に就任、僕は先乗りスコアラーとしてナゴヤ球場にいた。闘将として名を馳せる星野監督はドラゴンズブルーと白のツートンカラーの新ユニフォームに身を包み、戦況を見つめていた。その試合でチーフアンパイアを務めていたのは友寄正人さんだった。

 友寄さんは・・・

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