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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「緊張感さえも高みに上る栄養に変換できる平成生まれの野球」

 

ベンチで野手を迎えるのは決勝で先発した森下。プロ2年目の23歳が大役を果たした[写真=小山真司]


カベを乗り越える原動力


 選手の勝ちたい、金メダルを獲りたいという想いが結束した――稲葉篤紀監督は決勝を勝ち切った直後のインタビューで、こう話した。この指揮官の言葉に、そうなんだよな、としみじみ感じ入った。

 というのも、東京オリンピックを戦った日本代表の選手たちからは、確かに「勝ちたい」という前のめりな想いが溢(あふ)れ出ていたからだ。その一方、プロが参加するようになって以降のシドニー、アテネ、北京オリンピックで日の丸を背負ったプロの選手たちから感じさせられてきた想いは、「勝ちたい」というよりも「負けられない」という悲壮感だった。

 だからなのか、アメリカとの決勝戦の9回表、金メダルを目の前にした日本代表の選手たちには笑みがあった。プロの選手が戦ったオリンピックはこれが初めての決勝戦なのだから、過去との比較はできない。ただ2点差の最終回、もしアテネや北京の選手たちが決勝を戦っていたとしたら、ここで笑みを浮かべる選手がいただろうか、と考えてしまった。

 どちらがいいとか悪いという話ではない。勝ったからこそ明るい雰囲気はポジティブに捉えられたのであって、負けていたら緩んでいたと非難されていたかもしれない。しかしながらメダルを獲得できなかった北京オリンピックでの“屈辱”から13年という年月を経て、選手たちの気質が違ってきたからなのか、あるいは野球界を取り巻く環境が変わったからなのか、選手たちのオリンピックや日の丸の背負い方は明らかに北京までとは同じではなかった。そのメンタリティーこそが、これまでのプロ野球選手たちが乗り越えることのできなかった“オリンピックの金メダル”という高いカベを乗り越える原動力になったように思う。

 言うまでもなく金メダルは今の選手たちにとっても悲願であり、相当なプレッシャーはあっただろう。それでも今の選手には・・・

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石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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