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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「人生初渡米で行ったクーパーズタウン」

 

クーパーズタウンどころか、渡米すら簡単にはいかなくなってしまった[写真は1991年、ロッド・カルーの殿堂入りセレモニー]


 太平洋は川だ、などと豪語していたころが懐かしい。

 今から15年前――イチローがマリナーズでメジャー7年目のシーズンを過ごし、松坂大輔が鳴り物入りでレッドソックスへ移籍、桑田真澄がパイレーツでプレーした2007年のスケジュールを今一度、紐解(ひもと)いてみた。1年間でアメリカへ足を運ぶこと、14度。当時は愛用していた航空会社にシアトルやボストンへの直行便がなく、シカゴ、サンフランシスコ、ロサンゼルスから乗り継いで全米を旅していたものだった。

 この年のアメリカ国内線の搭乗は70回、オーストラリアと台湾へも行っていて、海外での飛行機に100回以上、乗っていた。その気になれば3泊5日、いや2泊4日でも国際線に乗って球場でお目当ての試合を取材、とんぼ返りしたこともある。実際、太平洋を川のような気楽さで行き来していたころのことを懐かしく思い出す。

 それがこのコロナ禍、太平洋は“越すに越されぬ大井川”になってしまった。もちろん、渡航を禁止されているわけではないので行こうと思えば行ける。しかし昨夏には渡航前のPCR検査は72時間前だったのに、今では24時間前となり、帰国後の隔離もカリフォルニア州の場合、ホテルなどでの6日間が義務づけられるようになってしまった(2022年2月現在)。スプリング・トレーニング取材に行こうとすれば帰国後の隔離も踏まえた日程を組まないとNPBの開幕に間に合わなくなる。

 とはいえ、どのみち取材人数に1社あたりの人数制限があって、フリーランスの立場で開幕戦を球場で取材するのは難しそうだ。だったら……いやいや、やっぱり球場へ足を運べるものなら行きたいけど、と気持ちは行ったり来たり。こんな時代が来ようとは、と嘆き始めて早2年。オンライン取材にも良きにつけ悪しきにつけ慣れてしまい、現場取材の体力というものが日に日に落ちている気がしてならない昨今、こういうときこそ立ち返るのは原点だと思い至り、人生初渡米に思いを馳(は)せてみた。

 今から34年前の1988年2月、人生で初めて太平洋を横断した。大学4年の冬、最後の長い休みに何をしようかと考えた結果、1カ月のアメリカ旅行を敢行することにしたのだ。ただ・・・

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石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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