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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「時代が変わっても存在する一人エースの矜持」

 

2013年夏、徳島大会初戦から甲子園準々決勝まで8試合を一人で投げ抜いた鳴門高・板東


 時代が変われば常識が変わり、価値観が変わることもある。

 今から107年前の1915年、今の“夏の甲子園”の第1回大会(全国中等学校優勝野球大会)が始まったとき、先発ピッチャーはすべて完投していた。そして今、昔の常識は非常識となって、エースが一人で最後まで投げ切ることはむしろ否定されている。最近は先発完投が当たり前の価値観も、一人で投げるエースを讃える風潮も、選手の健康を守るためだと見直しを求められてきた。1週間で500球以内という球数制限が取り入れられ、チームには複数のピッチャー育成が求められている。

 そんな中、今夏の甲子園に一人のピッチャーで勝ち上がってきたチームがあった。徳島代表の鳴門高だ。エース一人で代表の座をつかんだのは鳴門高だけ。背番号1の冨田遼弥は初戦から決勝までの4試合を一人で投げ切った。5回コールドが2試合あり、日程にも余裕があったのだが、このご時世、一人のエースで勝ったことは非難されこそすれ、讃えられることはない。

 鳴門高は2019年も徳島大会の初戦から決勝までの5試合をエースの西野知輝(山梨学院大)が一人で投げ抜いた。そのときも地方大会を一人のエースで勝ち切ったのは鳴門高だけ。さらに遡(さかのぼ)れば2013年の鳴門高も、エースの板東湧梧(ホークス)が徳島大会から夏の甲子園までを一人で投げ切っている。当時、板東はこう言っていた。

「一人で投げるのがすごいことだとは思っていませんでした。そもそも甲子園には一人で投げるイメージがあって・・・

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石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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