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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「『飽きたことがない』福留孝介の野球哲学」

 

24年間の現役生活に別れを告げることになった中日・福留


 野球の取材を始めて35年、これまでに3度、タブーを犯した。

 1度目は1989年。引退を決めていたジャイアンツの中畑清がリーグ優勝をかけて戦った横浜スタジアムで代打として登場し、ツーベースヒットを打った瞬間。

 2度目は2004年、イチローがジョージ・シスラーの持つシーズン最多安打の記録に並ぶ257本目のヒットを打った瞬間。

 そして3度目が2006年、福留孝介がWBCの準決勝、韓国との決戦で値千金の代打2ランホームランを打った瞬間。

 打った瞬間――犯してしまったタブーとは、記者席でのド派手なガッツポーズだ。客観的な立ち居振る舞いが求められる記者席でのバンザイや絶叫、拍手はタブーだと分かっていながら、感情を抑えられなかった。長く取材をしてきたという個人的な思い入れのあまり、ここは打ってほしいという願いが叶った瞬間、つい拳を握りしめてしまったというわけだ。

 とはいえ3度目のときは、誰もがタブーだと分かっていて、それでもほとんどの日本人プレスは立ち上がって拳を握りしめていた。当時、福留はこう話している。

「悔しさとうれしさを両方味わって、また野球の面白さを教えてもらった気がします」

 0対0の7回表だった。得点圏にランナーを進めながら得点できない日本は、ここまで不調の福留を代打に送る。WBCでは2次リーグまでに打ったヒットが2本、打率.105。そんな福留に・・・

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石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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