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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「王貞治の55本と村上宗隆の55本」

 

王貞治が55本塁打をマークしたのは1964年のことだった


 野球は数字を楽しむスポーツである。村上宗隆がシーズン55号のホームランを打ったとき、あの王貞治の記録に並んだと野球好きは熱狂した。神宮球場でジャイアンツを相手に、誰もがもう一度回ってきてほしいと願って叶った最終回の打席だった。クローザーの大勢が投じたアウトコースの難しい球に対して、村上のバットが一閃――弾き返された白球は逆方向へ、とんでもなく巨大な弧を描く。55番を背負うスラッガーは数多(あまた)いても、あの松井秀喜でさえ届かなかった背番号と同じ55号を、村上は“いともあっさり”打ってみせた。まさに野球好きの度肝を抜く、驚愕の一発だった。

 ちなみに王が55本のホームランを打ったのは1964年。今から58年前のことだ。例えば男子100メートルの世界記録を眺めてみると、1964年の世界記録は手動計時で10秒06。同年の東京オリンピック、男子100メートルで金メダルを獲得したアメリカのボブ・ヘイズが決勝でたたき出したタイムだ。あれから58年、現在の男子100メートルの世界記録はジャマイカのウサイン・ボルトが持つ9秒58(電動計時)。ヘイズの10秒06は、今年で言えば世界陸上でサニブラウン・ハキームが決勝で7位となった記録にあたる。

 100メートルの記録がこれだけ伸びた58年という時間――スプリンターが進化を遂げているのに野球選手が進化していないはずはない。ピッチャーの投げる球はスピードを増し、変化球は多種多様になって・・・

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石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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