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石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「激闘、熱戦を演出した分析、曲、茜色に雨──」

 

夕暮れの茜空の下、ヤクルト野村克也監督が宙に舞った1993年の日本シリーズ。選手が戦いに挑む背景に加え、幕切れの情景も頂上決戦の熱戦を演出する[写真=BBM]


 勝ったほうが日本一の第7戦を勝って4勝3敗で決着した日本シリーズ。その名勝負を年代別に挙げた前稿は、1980年代までで誌面が尽きた。今回は年代別の第7戦ベストバウト後編として、90年代からの名勝負を挙げていく。

 92年と93年は、西武とヤクルトが2年続けて4勝3敗の日本シリーズを戦った。勝ったのが92年は西武、93年はヤクルト──この14試合の激闘は全試合、球場で取材をしていた。仕事場の本棚を手繰ると、当時のスコアブックが残っている。とりわけ印象に残っているのは、野村克也監督の率いるヤクルトが日本一に輝いた93年の日本シリーズである。

 王者の西武を挑戦者のヤクルトが倒した93年、あのときのヤクルトには勢いではなく、強さを感じた。狭山丘陵に広がる秋の空の下、西武球場のヴィクトリーロードを下る途中で野村監督の胴上げを見た覚えがある。記憶に残る空は茜色だ。2年、14試合をかけてついに頂点に登り詰めたヤクルトと落日の西武のコントラストを、あの茜色が際立たせていた。そのヤクルトの中心にいたのはキャッチャーの古田敦也だった。

 古田はシリーズの間、夜通し、ビデオ分析を続けていた。古田がこう話してくれたことがある。

「僕は日本シリーズというのは苦しいもんだと思ってます。特にあの93年のシリーズはしんどかった……話してたら、思い出してきましたよ。一睡もできなかった。ホテルの狭い部屋にビデオが高々と積み上げられていて、ホンマ、イヤな思い出ですねぇ(苦笑)」

 野村監督がヤクルトを強くするために教え込んだノウハウの数々。その集大成が・・・

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石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

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