週刊ベースボールONLINE

石田雄太の閃球眼

石田雄太コラム「有意義な時を経て後ろにできた道」

 

花巻東高時代[写真]から多くの決断を下してきた大谷翔平。選んだ道が有意義だったことは周囲の評価が物語る[写真=BBM]


 あれは2010年の春のことだった。当時、ドジャースのスカウトをしていた小島圭市さんと食事をした。その半年前、花巻東高校の菊池雄星を獲得するところまであと一歩に漕ぎ着けながらも叶わず、悲嘆にくれていたはずの小島さんがすっかり元気になっている。小島さんは興奮していた。

「いやぁ、とんでもない選手が入ってきたんですよ、花巻東に……」

 えっ、花巻東? 雄星が卒業したばかりなのに、そんなにすぐにすごい選手がいるの? 幻でも見たんじゃないの? と、小島さんについ軽口を叩いてしまった。しかし、それは幻ではなかった。

「キャッチボールを見ていたら両腕がフワーッと上がってくる。まるで鷲ですよ。そこから右腕が柔らかく、しなって出てくる。ため息が出るほど美しくて、まさにドワイト・グッデンでした。大きく羽を広げて、そのままどこかへ飛んでいっちゃうんじゃないかと思ったほどです(笑)。これはまた僕の花巻通いが始まりますよ」

 そして小島さんは3年間、花巻へ足繁く通った。惚れ込んだのは15歳の大谷翔平だ。そこから3年間、小島さんは大谷を見守り続けた。公式戦はもちろん、練習試合も見に行った。調子がいいときも悪いときも、ケガで満足に動けない時期も、つかず離れず大谷を見た。そういう小島さんの存在に励まされたと大谷は言っていた。伸び悩んでいると感じても『小島さんが見に来てくれている、自分は小島さんに評価されている』という事実が自らを奮い立たせてくれたのだ。だから大谷は高校3年の秋、いったんアメリカ行きを決断したのである。

 しかしドラフトで・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

石田雄太の閃球眼

石田雄太の閃球眼

ベースボールライター。1964年生まれ。名古屋市立菊里高等学校、青山学院大卒。NHKディレクターを経て独立。フリーランスの野球記者として綴った著書に『イチロー・インタビューズ激闘の軌跡2000-2019』『大谷翔平 野球翔年』『平成野球30年の30人』などがある。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング