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“今旬”プレーヤーを直撃! スポットライト・インタビュー

西武・呉念庭インタビュー 救世主誕生 「運命が変わったホームランでした」

 

今輝いている最も旬な選手を不定期で取り上げるインタビューが今週からスタート。第1回は西武呉念庭だ。6年目の今季、ケガによる主力の離脱で巡って来たチャンスを見事に生かして救世''今輝いている最も旬な選手を不定期で取り上げるインタビューが今週からスタート。第1回は西武・呉念庭だ。6年目の今季、ケガによる主力の離脱で巡って来たチャンスを見事に生かして救世主となった。勝負強い打撃でもはやチームに欠かせない存在だ。
取材・構成=小林光男 写真=榎本郁也、BBM

3月31日の日本ハム戦[札幌ドーム]でプロ初本塁打。「支えていただいた皆さんのお陰です」と周囲のサポートに感謝した


構えを変えてバッティングが安定


 一軍昇格の一報が入ったのは3月30日の23時ごろだった。チームは栗山巧山川穂高が登録抹消されるピンチに陥っていた。呉念庭は慌ただしく、翌31日朝の便で空路、札幌入りすると、同日の日本ハム戦(札幌ドーム)に八番・一塁でスタメン出場。2回の第1打席で四球を選び、迎えた5回の第2打席だ。先頭で打席に入ると、伊藤大海から強烈な打球を右翼席へ突き刺した。「ヨッシャー」と雄たけびを上げた呉。先制ソロは6年目でのうれしい初本塁打となった。

――プロ初本塁打は見事でしたね。

 手応えは完璧でした。あの1本は自分にとって非常に大きかったですね。運命が変わったというか、ここまで活躍できるきっかけになったと思います。ホームランが出てから、気持ちがすごく楽になりました。まず、一軍に昇格してヒットが欲しいと思っていましたが、まさかホームランにできるとは。大きな自信にもなりました。

――スライダー(見逃し)、チェンジアップ(ファウル)、チェンジアップ(ボール)を投じられ1-2からの4球目でした。

 変化球が続いたので、そろそろ真っすぐが来るかな、と。真っすぐ狙いでしたね。

――145キロの内角直球にバットを一閃。

 相手の失投だったと思うんですけど(捕手の要求は外角低め)、1球で仕留めることができたのは非常に良かったです。

――今年からバットをかついで構えるようにフォーム変更したことも、本塁打につながりましたか。

 そうですね。それがホームランを打つことができた一番の要因だと思います。B班キャンプから相当量バットを振って、新しい形を体に染み込ませましたからね。去年のバットを立てた構えではタイミングがズレて打ち損じてしまい、ファウルになっていたかもしれません。去年まではスイングが波を打っていたんですが、今年はバットがスムーズに出るようになり、スイングが鋭くなりましたね。

左が2020年、右が21年の打撃フォーム。今年は構えのときにバットをかつぐようにした


――スイング軌道が良くなり、ボールをとらえる確率が上がった感じです。

 あとは投手との間(ま)も取れるようになったことも大きいですね。飛距離も伸びましたが、今年は下半身のウエート・トレーニングにも力を入れたんです。それまでは上半身ばかりを鍛えていたんですけど。でも、それではあまりいい結果が出なかった。コーチにも「下半身で打て」とアドバイスをもらっていて、その意味がなかなか理解できなかったんですけど、自分のバッティングをもう一度見つめ直して。いろいろ研究する中で下半身のねじり、回転が大事だ、と。そこが分かってきたので、下半身を集中的に鍛えました。その効果がいい方向に表れていると思いますね。

選球眼も大きな武器理想像は栗山巧


 高校で台湾から来日し、2016年、第一工大からドラフト7位で西武に入団した呉。1年目から遊撃手としてスタメン出場する機会に多く恵まれた。翌年のレギュラー獲得を期待されたが、その17年、ドラフト3位で源田壮亮が入団。1学年上の先輩新人に正遊撃手の座を奪われ、そこから苦難の日々を過ごす。出場機会を増やすために二軍で外野を含め、あらゆるポジションを守った。昨年は内野のユーティリティーとして自己最多の51試合に出場。最終戦までの残り3試合ではスタメン出場し、計5安打4打点をマーク。「もっと試合に出たい」という思いを膨らませていた。

――1年目はショートとして42試合に出場しました。

 そのときの経験が今に生きていますね。とにかく新人のときは何事も一生懸命にやり過ぎて、疲れがたまってしまったんです。やっぱり、毎日、試合に出続けると体に負担が掛かりますから。でも、今はそのあたりもうまくやっているので、体の状態は非常にいいです。

――息抜きの方法は?

 特にないです。ゆっくりお風呂に浸かったり、ストレッチをしたりするくらいです。

――初本塁打を放ったあとのコメントで「ここまで苦しい日々もありました」とありました。特に苦しかったのはいつごろでしたか。

 4年目の19年ですかね。一軍出場がなしに終わって、ファームでも思うような成績を残せなかったので(74試合、打率.254、2本塁打、28打点)。このまま終わってしまうのかな、と。野球が楽しくなかったですね。

――そこをどのように乗り越えたのでしょうか。

 去年までのチームメートだった水口(水口大地。現西武アカデミーコーチ)さんに「一軍に上がれなくても、野球自体は楽しいんだから楽しもう」と言われたんです。笑顔を出して、楽しく。水口さんの言葉には救われました。それと、オフに中学の野球教室に行ったんですけど、子どもたちが素直に野球を楽しんでいる姿を見て初心に帰ることができましたね。今も楽しいです。失うものは何もありませんから。

どんなときも野球を楽しむ気持ちを忘れない


――今年はB班キャンプスタート。危機感は大きかったですか。

 もちろん、例年よりありました。チャンスは少ないと思っていましたけど、チャンスが巡って来たときに一発で答えを出せるようにしよう、と。危機感を力に変えましたね。

――同期の愛斗選手と「二軍で圧倒的に打とう」と誓い合っていたそうですね。結果的に二軍で27打数10安打、打率.370をマークしていました。

 圧倒的に打たないと一軍に上がれないので。愛斗とは2人でずっと楽しい時期、苦しい時期を過ごしてきました。愛斗も今は一軍で結果を残しているので、ともに頑張っていきたいです。

――内野のすべてを守れるユーティリティー性は、呉選手の大きな武器になりますね。

 どこでも行けるように、いつも準備しています。チームにもプラスになりますから。与えられたポジションでしっかりと起用に応えて、首脳陣から使いたいと思われるような選手になりたいです。

――打撃での理想像は。

 理想像は栗山(栗山巧)さんです。僕が入団時から目標とする選手ですから。

――栗山選手は出塁率が高いのが特長ですが、呉選手も四球を選ぶ能力を備え、出塁率もここまで.404をマークしています。

 そうですね。もともと僕は選球眼が持ち味ですから。打ちにいく中で、ボールを見極める。そこが何よりも強みだと思っています。

――栗山選手から学んだことは。

 打席の中の雰囲気ですね。相手投手も明らかに嫌がっているので。僕もそういう雰囲気を打席でつくることを心掛けています。

――直接アドバイスをもらったことは。

 聞くより、見たほうがいい。ヒントがそこにありますから。去年、ベンチからずっと見ていて感じたのは打席での割り切りです。見逃し三振をしたとしても、自分が狙っていたボールと違っていたら、それはそれでいい。逆に狙っているボールが来たら、しっかりと仕留める。打つと決めたら打ちにいかなければいけません。僕も少しでも栗山さんに近付けるように頑張りたいです。

父は五輪メダリスト東京五輪への強い思い


 呉の父・呉復連氏は元台湾代表の内野手でロサンゼルス五輪では銅メダリストに(公開競技)。代表でコーチも務め、15、16年には台湾プロ野球の中信兄弟を監督として率いた。北京五輪前に呉はコーチの父と同じホテルに母と宿泊。同ホテルには日本代表も泊まっていて、エレベーターでダルビッシュ有(現パドレス)らと一緒になった際、サインをもらった思い出もあるという。今年は東京五輪が開催予定だが、呉も“スポーツの祭典”出場への意欲は強い。

――東京五輪への思いは。

 非常に強いです。東京開催ですし、野球は最後かもしれないじゃないですか。ぜひ、出たいです。まだ、台湾は出場権を獲得していないですが、力になりたい思いはあります。

――父親の銅メダル超えも?

 超えたいですね。かなりハードルは高いですけれど。

――大舞台の経験が成長への糧にもなる。

 WBCもありますけど、やはり五輪は世界の頂点の舞台だと思いますからね。

――これまで父親からアドバイスを受けることは多々あったのでは。

 監督目線でアドバイスをくれるので、非常にありがたい。試合が終わるたびに電話が来るんですよ。「なんでこの球に手を出さなかったんだ?」と聞かれて「待っている球が違ったんだよ」というような内容の話をします。いろいろとプラスになっていますね。

――これまでで最も印象に残っているアドバイスは何ですか。

 昔からよく言われていたのは引きずらないこと。打席が終わったら、気持ちを切り替えて次の打席に向かってしっかり準備をしろということです。それは実践できていますね。例えば4月14日の日本ハム戦(メットライフ)、初回の第1打席で伊藤投手に最後の空振り三振を含めてスライダーを4球投じられたんですけど、「スライダーをたくさん見ることができた」と前向きに捉えて。続く3回の第2打席では、そのスライダーを打って、中前適時打にすることができました。

――今後の目標を教えてください。

 打率は2割7分以上を残したいです。あと、得点圏打率は3割以上を目指して。とにかく、ケガなく1年間戦って、チームの戦力となれるようにプレーしていきたいです。

4月4日のソフトバンク戦[PayPayドーム]では2号ソロ。ベンチのナインは呉の名前にかけた「ウー」とサイレンが鳴る動きを手で表した「ウーイング」で迎えた


PROFILE
うー・ねんてぃん●1993年6月7日生まれ。178cm75kg。右投左打。台湾出身。岡山県共生高-第一工大-西武16(7)主となった。勝負強い打撃でもはやチームに欠かせない存在だ。''};};
取材・構成=小林光男 写真=榎本郁也、BBM

3月31日の日本ハム戦[札幌ドーム]でプロ初本塁打。「支えていただいた皆さんのお陰です」と周囲のサポートに感謝した


構えを変えてバッティングが安定


 一軍昇格の一報が入ったのは3月30日の23時ごろだった。チームは栗山巧、山川穂高が登録抹消されるピンチに陥っていた。呉念庭は慌ただしく、翌31日朝の便で空路、札幌入りすると、同日の日本ハム戦(札幌ドーム)に八番・一塁でスタメン出場。2回の第1打席で四球を選び、迎えた5回の第2打席だ。先頭で打席に入ると、伊藤大海から強烈な打球を右翼席へ突き刺した。「ヨッシャー」と雄たけびを上げた呉。先制ソロは6年目でのうれしい初本塁打となった。

――プロ初本塁打は見事でしたね。

 手応えは完璧でした。あの1本は自分にとって非常に大きかったですね。運命が変わったというか、ここまで活躍できるきっかけになったと思います。ホームランが出てから、気持ちがすごく楽になりました。まず、一軍に昇格してヒットが欲しいと思っていましたが、まさかホームランにできるとは。大きな自信にもなりました。

――スライダー(見逃し)、チェンジアップ(ファウル)、チェンジアップ(ボール)を投じられ1-2からの4球目でした。

 変化球が続いたので、そろそろ真っすぐが来るかな、と。真っすぐ狙いでしたね。

――145キロの内角直球にバットを一閃。

 相手の失投だったと思うんですけど(捕手の要求は外角低め)、1球で仕留めることができたのは非常に良かったです。

――今年からバットをかついで構えるようにフォーム変更したことも、本塁打につながりましたか。

 そうですね。それがホームランを打つことができた一番の要因だと思います。B班キャンプから相当量バットを振って、新しい形を体に染み込ませましたからね。去年のバットを立てた構えではタイミングがズレて打ち損じてしまい、ファウルになっていたかもしれません。去年まではスイングが波を打っていたんですが、今年はバットがスムーズに出るようになり、スイングが鋭くなりましたね。

――スイング軌道が良くなり、ボールをとらえる確率が上がった感じです。

 あとは・・・

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