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神は細部に宿る

今永昇太コラム 第4回 「小中学校の思い出」

 

ソフトボール時代の僕。記憶に残っていませんが、サイズ的に小学1年生のころだと思います


5つ上の兄の影響でソフトボールを始める


 僕は3人兄弟の末っ子で、福岡県の北九州市で育ちました。5つ上に兄、4つ上に姉がいて、兄の影響でソフトボールを始めたのが野球人生のスタート地点です。当時、兄は小学5年生で永犬丸(えいのまる)西ソフトボールクラブに入っていました。幼過ぎてほとんど記憶に残っていませんが、聞いた話によると、練習のお手伝いに母が行ってしまい家に誰もいなくなるので、僕もグラウンドに連れていかれて近くの遊具で遊んでいたそうです。

 で、せっかくグラウンドに来ているのなら一緒にプレーしようとなったのが、ソフトボールを始めたきっかけです。僕はまだ年長さんでしたが、特別に参加させてもらっていました。母からすれば、幼い僕が目の届かないところでケガをするよりは、兄と一緒にソフトをやったほうがいいんじゃない?くらいの気持ちだったと思います。その後、永犬丸西小学校に進学すると正式にクラブのメンバーとなりました。僕が住んでいたのはソフトボールが盛んな地域で、兄がプレーするチームに入るのは自然な流れでした。正直、僕は軟式野球チームがあるということすらも知りませんでしたから。

 ソフトボールチームに入ったばかりの子どもは、だいたい九番・ライトからスタートするんです。そして、ソフトボールに慣れていくにつれて、さまざまポジションをこなしていきます。僕は左投げということは関係なく、いろいろなポジションをやらせてもらいました。ピッチャー、キャッチー、ショートもやりましたね。指導してくださった竹内久監督(当時)は、学生時代には野球やソフトボールよりサッカーをやられていた方で、柔軟な考えの下、たくさんの経験をさせてくれました。

 ソフトボールクラブのピッチャーは、低学年がいわゆる下投げ、高学年からウインドミルでした。僕は下投げが結構速かったんです。だから・・・

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球界きっての理論派サウスポー、DeNA・今永昇太が右脳で語る!

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