マネはできない
台湾から来た剛腕。1981年途中、
中日に入団し、2年目から先発に定着し、9勝を挙げた。その後、3年目から4年連続2ケタ勝利もすべて2ケタ敗戦。タフさは際立ったが、安定感には欠けた。
野球人生が変わったのは、86年オフ、
星野仙一監督が就任してからだ。ピンチにこそ燃える郭の性格を熟知していた星野監督は、郭をクローザーに指名。期待に応え、同年から2年連続最優秀救援投手。防御率はいずれも・・・
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