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佐藤道郎コラム 第7回「門田博光はなぜ超一流になったのか」

 

1年目からレギュラーとなり、2年目には打点王となった門田[中央]


野村監督が決めた背番号


 南海に入ったとき、俺の背番号は野村(野村克也)さん(当時兼任監督)が決めてくれたんだ。「14と17があるぞ。どっちがいい?」って聞かれ、「お任せします」と言ったんだけど、野村さんが「17は少し細いから、やせた選手が似合う。ミチは14だな」って選んでくれたんだ。

 大学(日大)の野球部が終わってから遊んでいたんで、少し太っていたのは確かだけど(笑)、沢村(沢村栄治)さん(巨人の伝説のエース)の番号だし、大喜びさ。野村さんにとって俺は初めてのドラフト1位だから、いい番号を着けさせたいというのもあっただろうね。自分で言うのも照れ臭いが、俺への思い入れはあったと思うよ。

 そうそう、少し話が飛ぶけど、野村さんの監督の最後のほうで、「次期監督はミチ、お前だ」って言われたこともあったな。「俺なんかとてもとても」と答えたけどね。引退してからだけど、門田(門田博光)と対談したとき、この話を言ったら「ミチ、俺も言われたぞ」って(笑)。門田は俺と同じ年のドラフト2位入団で、2人とも生え抜きだったしね。

 門田で思い出すのは、遠征の移動。1年目、新人でずっと一軍にいたのは俺と門田だけだったけど、昔は1年目の新人が遠征で荷物持ちをした。俺はいつもニューボールを1ダース、門田は60球くらい入るボールケースを持ち歩いていた。バッターは自分のバットもあるから大変だったと思うよ。

 しかもさ、東京遠征だと、先輩は東京駅に着いたら、「宿舎まで頼む」と、俺たちに荷物を預けてしまうんだ。そのまま銀座にでも飲みに行くんだろうね。2、3人分は当たり前さ。でも、俺が「冗談じゃないぞ。自分の荷物くらい自分で持てよ」とブツブツ愚痴っていたら、門田が、「ミチ、ウエート・トレーニングと思えばいいよ」って。そのときは「お前、変わってるな」とは言ったけど、心の中で「ああ、こいつ俺と違うわ、すげえな」と思った。

 あれだけ成績を残すやつは、すべてをいい方向に考えるんだね。超一流選手ってみんなそうなんじゃないかな。あえて言うなら、俺たち投手はボールより重いものを持つなと言われた時代ではあったけどね。

 門田は・・・

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パ・リーグ初代セーブ王・佐藤道郎の球人履歴書。

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