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佐藤道郎コラム 第14回「俺がスライダー投手になった理由」

 

中モズでの練習風景。右が佐藤氏


中指の突然の痛み


 1971年の春季キャンプは、俺も2年目のジンクスとか言われたくないから張り切ってやっていたんだけど、指を痛めちゃったんだ。右の中指ね。リリースのときにズキンときて、痛くて投げられなくなった。

 あちこちの病院を回ったけど、誰も原因が分からない。有名な気功の先生にも見てもらって、「気を送ったから、もう大丈夫」と言われたけど、投げてみたらやっぱり痛かったしね。尿酸値が高かったんで「痛風じゃないか」とも言われたけど、それも違ったみたいだな。

 でもさ、不思議なことに、麻雀でツモのときは大丈夫なんだ。卓を強くたたいても、まったく痛くない(笑)。周りは俺が中指を痛がっているのを知っているから、「ミチ、大丈夫なのか」と言うけど、問題ない、平気だった。ツモった喜びから? そんなバカなはずないでしょ(笑)。そのくらいリリースのときに指に掛かる力が強いからだと思うよ。

 開幕してから我慢して2試合くらいは投げたのかな。でも、やっぱりダメで、野村さん(野村克也兼任監督)に「二軍に行って治してこい」と言われた。当時の二軍監督は岡本(岡本伊三美)さんだったけど、「お前なんか来ても何も教えられないよ」っていきなり言われた。「指が痛くて投げられないんですよ」と言ったら、「分かった。だったら若い連中に外野ノックでもしといてくれ」って言われ、調整の仕方も完全に任せてもらった。

 1カ月ちょっといたけど、最初のころは、まったく投げてないよ。治さなきゃいけないと必死だったけど、痛くてどうしようもなかったんだ。言われたとおり、毎日、外野ノックをしていた。でもさ、1年目に成績を出したのもあるんだろうけど、誰も「こうやってみろ」とも「遊んでるのか」とも言ってこなかったな。

 少し痛みがマシになってピッチングを始めたんだけど、まずは痛くないフォームを探した。1年目は真上から投げていたのを、それだと指に負担が掛かることがあって少し下げた。それからよくなってきたのが・・・

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パ・リーグ初代セーブ王・佐藤道郎の球人履歴書。

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