週刊ベースボールONLINE

生中生無 死中生有

佐藤道郎コラム 第19回「初代セーブ王にはなったがなかなか給料は上がらんかったな」

 

74年の日本シリーズで巨人・堀内にタイムリーを打たれた佐藤氏


初代は獲りたかった


 南海ホークスが優勝した1973年は、ウチの長女とカツノリ(野村克則コーチ。野村克也兼任監督の息子)が生まれた年なんだ。南海時代の最後のほう、何年だったかは忘れたけど、大阪球場で俺が先発した試合で、ネット裏で当時のヨメさんとマミー(沙知代夫人)と2人の子どもが応援していたことがある。そのときカツノリがバックネットにしがみついて、「〇〇ちゃんのパパ、頑張って!」って言ってたことがあったな。あ、〇〇は娘の名前でパパは俺ね。名前出すと娘に怒られそうだから(笑)。試合は俺の完投勝ちだった。終わったら娘が「パパ!」って抱きついてくれたっけ。

 話を戻すよ。

 プレーオフで阪急を破ったあと、2日空けただけで巨人との日本シリーズが始まった。第1戦(10月27日)は、大阪球場でやって南海が4対3で勝ったんだ。ウチらは江本(江本孟紀)が完投で、俺の出番はなかったけどね。それで夜、雨がじゃんじゃん降りだったんで、「あしたは中止や」って、みんなで飲みにいって大騒ぎした。それが何と、朝起きたらピーカンさ(笑)。昔の日本シリーズはデーゲームだし、みんなフラフラ。「こんな酔っぱらってたら負けるな」と言ってたら、やっぱり負けたけどね(笑)。

 でも、いい試合だったんだよ。新一(山内新一)が先発で、俺は1対2の7回からリリーフで投げたんだ。そしたら・・・

この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。

まずは体験!登録後7日間無料

登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。

佐藤道郎コラム 生中生無 死中生有

佐藤道郎コラム 生中生無 死中生有

パ・リーグ初代セーブ王・佐藤道郎の球人履歴書。

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング