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佐藤道郎コラム 第21回「野村南海は球界の最先端だった」

 

入団したばかりの江夏[左]と柔軟運動


メジャー流のシフト


 南海はケチだったし、大阪球場のお客さんも少なかったけど、野球は最先端だったよ。野村(野村克也)さんというと、ヤクルトのID野球の印象が強いかもしれないけど、その最初が南海時代、選手兼任監督の野村さんと、ブレイザー(コーチ)の「シンキングベースボール」、考える野球だからね。

 東京教育大でスポーツトレーナーをやった人をコーチに呼んで、科学的なトレーニングをやったこともあったな。最初は俺らも血の気が多い時代だし、野球を知らんヤツが偉そうに言うなと思って、「キャッチボールできるようになったら言うこと聞いてやるわ」って言ってたけど(笑)、そのあと練習したのか、フリー打撃に投げるようにまでなったからね。そうなりゃ仕方ない。素直に謝りに行ったよ(笑)。

 試合では王シフト(巨人王貞治の打撃時、外野がライト寄りになった)よりさらに細かく大胆な守備シフトも敷いた。引っ張りの長池(長池徳二)さん(阪急の右打者)が打席に入ったときは、セカンドなんていらないから外野を4人にしたり、左で同じく引っ張りだけど、ライナー性が多かった近鉄の永淵(永淵洋三)さんのときはレフトを空けて外野2人にしたりね。ブレイザーのアイデアだったと思うけど、それこそ、今のメジャーみたいに大胆にやっていた。

 必ずしもデータどおりに打球が行くわけじゃなかったけど、これの嫌らしいところは、バッターが人のいないところを狙うと、その選手本来のフォームが崩れることなんだ。どちらかと言うと、そちらを目的にしてるのかなと思うこともあった。

 ただ、あれを巨人がやったら随分話題になったんだろうけど、パ・リーグだからね(笑)。新聞記者も気づいていたとは思うけど、大きな記事になったことはなかったな。

 ブレイザーというのはメジャーでも名手と言われたセカンドで・・・

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