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佐藤道郎コラム 第30回「稲尾和久さんとの出会い」

 

84年ロッテ監督に就任した稲尾監督[左]と佐藤氏


王さんへ飛び込み取材


 毎年11月13日は、この店に何人か集まって稲尾(稲尾和久)さん(西鉄ライオンズの大投手)をしのぶ会をするんだ。いつの間にか俺も稲尾さんの年齢を越しちゃったけど、亡くなったのは70歳だった。野村(野村克也)さん(南海ほか)の2つ下で、生きていたら84歳かな。よく言うんだけど、命日の11と13を足せば、稲尾さんの背番号24でしょ。九州でつくっている「鉄腕稲尾」という焼酎があって店にも置いてあるんだけど、そのアルコール度数も24度だからね。まあ、焼酎の度数はわざとそうしたのかもしれないけど。

 この間は亡くなった水島(新司)先生の話をしたけど、その前は俺が大洋で80年に現役を辞めたところまでだったよね。別に世渡りがうまいなんてことはまったくないんだけど、ありがたいことに報知新聞とテレビ東京、あとは週刊プレイボーイで連載をさせてもらった。プレイボーイは今、江夏(江夏豊。元阪神ほか)が連載をやっているらしいね。俺のあとは江本(江本孟紀。元南海ほか)だったから、南海で一緒にやったピッチャーがなぜか多いんだ。

 プレイボーイの仕事でグアムの巨人キャンプに行かせてもらったこともあった。あれは王(王貞治)さんが助監督をしていたときだから83年くらいかな。プレイボーイだからとは言わないけど、事前の取材申請も何もない。「ミチさん、グアム行ってもらえますか」と編集長に言われ、「よし、任せといて」くらいなもんさ(笑)。

 巨人が練習をしているグラウンドに行き、ネット裏から王さんに「こんちは、監督。飛び込みで来たんですけど、あとで話を聞かせてもらえませんかね」って声を掛けたら「うん、分かった。練習が終わったら宿舎のホテルのプールサイドに来てくれ」って言ってくれた。

 一緒に行ったカメラマンには「さすがミチさん」ってほめられたよ。その人は女の子の裸を撮らせたら天下一品らしいけど、野球に関しては素人みたいなもんだし、世界の王さんが気さくに俺と話しているのにびっくりしたみたいだね。現役時代、同じチームでやってたわけじゃないから、王さんとすごく親しかったわけじゃないよ。俺からしたら雲の上の人だしね。でも、王さんは何と言うかな、分け隔てない人なんだ。

 王さんはこの店にも何回か来てくれた。ソフトバンクの監督を辞めてから来たとき・・・

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パ・リーグ初代セーブ王・佐藤道郎の球人履歴書。

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