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佐藤道郎コラム 第34回「3年間の順位が逆だったら稲尾さんも更迭されなかった」

 

86年ロッテは4位に終わり稲尾監督[右]は退任。落合は移籍[中央。手前は村田。左は西村徳文]


雨にたたられたか


 1983年のオフ、その年、ダントツの最下位だったロッテのコーチになったんだけど、監督の稲尾(稲尾和久)さんには「3年で優勝できる投手陣にしてくれんか」と言われていた。ちょっと早めにうまくいって、1年目から2年連続2位になったけど、約束の3年目は4位に終わっちゃった。打線は悪くなかったんだ。落合(落合博満)が2年連続三冠王になったりね。明らかにピッチャーが足を引っ張っちゃったな。

 別に、誰がケガしたとかじゃないけど、めぐり合わせがうまくいかなかったのもある。1つは雨。あの年は雨が多くて、なんか乗れなかった。前の年に17勝した(村田兆治)兆治の試合も随分雨で流れて、しかも、なかなか勝てなかった。ただ、200勝が近づき、名球会が視野に入っていた時期だから投げたがってね。最初は前の年の「サンデー兆治」(ヒジの手術から復帰後、毎週日曜登板で勝ち続けたことでついた。当時、社会現象のように盛り上がり、村田は人気者となった)の続きで日曜の登板だったんだけど、雨で中止になってもスライドして投げると言ってきた。スライドのスライドもあったんじゃないかな。稲尾さんに「本当に大丈夫なのか」と言われ、こっちもついつい「いいじゃないですか」と偉そうに言って「それでローテーションと言えるのか」と怒られたこともあったよ(苦笑)。兆治のエースとしてのプライドを大事にしたかったこともあるし、当時はマスコミも兆治、兆治だったからね……。結果的には、ほかの投手に迷惑かけたかもしれないな。

 でも、今でも思うけど・・・

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パ・リーグ初代セーブ王・佐藤道郎の球人履歴書。

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