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佐藤道郎コラム 第38回「高木守道さんが口をきいてくれなくなった理由」

 

ドラゴンズ2年目からは高木監督に


全員フォーム変更?


 1991年、中日は2位だったけど、5年契約が終わった仙さん(星野仙一監督)は退任となって、高木守道さんが監督になった。別に守道さんと何かあったわけじゃないけど、俺は仙さんに呼ばれた人間だし、これで終わりかな、と思っていた。そしたら、これもたき火効果なのか(笑。前々号参照)、仙さんが「ミチ、お前を1年で東京に帰すわけにはいかない。守道さんと球団に言ってお給料も上げてもらうから、もう少し名古屋にいろ」と言ってくれた。実際、年俸が上がったうえにボーナスも出たからね。ほんと人には親切にしておくもんだな(笑)。

 ただ、正直なところ高木さんとは合わなかった。いろいろあったけど、決定的だった話からしようか。

 守道さんは廣岡(廣岡達朗)さんを尊敬していて、その関係で、廣岡さんと親しいトム・ハウスを呼んできたことがある。この人はノーラン・ライアンのコーチをしたこともある人で、別に呼ぶこと自体はいいんだけど、いきなり守道さんが・・・

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パ・リーグ初代セーブ王・佐藤道郎の球人履歴書。

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