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佐藤道郎コラム<村田兆治追悼特別企画>「俺の見た『人間・村田兆治』を話そう」

 

1985年4月14日、復活の完投勝利を飾った村田投手と握手するコーチ時代の佐藤氏[右]


サンデー兆治秘話


 わざわざ店(『野球小僧』)まで来てもらってありがとう。連載は終わったけど、話しておきたいことがあってね。(村田兆治)兆治(元ロッテ。11月11日死去)のことさ。突然でびっくりした。空港の事件もあって、いろいろ悪いほうの記事も多いんで、あいつを知っている一人として、少し話しておきたいと思ったんだ。いい話ばかりじゃなく、俺が見た「人間・村田兆治」をね。

 南海時代、あいつと投げ合ったことはあるけど、いろいろ話したのはロッテのコーチになってからだった。ただ、1年目の1984年は、あいつはヒジの手術のリハビリでほとんど一軍にいなかった。当時はヒジにメスを入れたらピッチャーは終わりと言われていた時代だし、「あのすげえ球はもう見られないのかな」と何となく思っていた。

 でも、2年目の1985年はキャンプではすごく元気。人一倍投げるし、紅白戦、オープン戦でも絶好調だった。稲尾(稲尾和久)さん(ロッテ監督)も喜んで「ミチ、開幕(投手)は兆治でいいな」と言ってきた。でも、俺は「ちょっと監督、待ってください。開幕投手だと、あいつ張り切り過ぎて、また壊れちゃうかもしれない。シーズンは長いんで、深沢(深沢恵雄)のあと、兆治にしましょう」と言ったんだ。稲尾さんは、「世間は兆治のカムバックで盛り上がってるんだがな」と言ってたけど、最後はしぶしぶ納得してくれた。

 開幕が土曜だから、これで兆治の予定は日曜日になった。ただ、開幕戦はできたけど・・・

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パ・リーグ初代セーブ王・佐藤道郎の球人履歴書。

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