甲府商高時代の筆者
好き勝手に書くよ
「今日もどこかであくたろう」と名付けたブログは今年で5年目に入った。野球のことがメーンだけど、かわいい孫や飼っている猫のことも話題にしていて、これが俺の野球評論より好評なのが複雑な気持ちではある(笑)。
ブログを始めたきっかけは、日本テレビの野球解説の契約が終わったことだ。今はCSも増えているから、どうなっているか分からんけど、もともと解説の仕事はそんなに多くはない。若い世代に席を譲りたい。以前からそう思っていたが、実際に終わるとなると、思いの外、時間ができた。
そんな俺がボケたら困ると思ったのか(笑)、仲間からブログなるものを勧められたというわけだ。
芋焼酎の力も借りて、
「やってみるか?」
そう口走ったが最後。携帯電話はガラケーからスマホとやらに強制的に替えられるわ、操作は覚えなきゃいけないわで、そりゃ大変な騒ぎとなった。
これを読んでくれていたようで、ベースボール・マガジン社の池田哲雄社長から「ブログの感じでいいので、週ベのコラムをやってみませんか」とお声掛けをいただいた。
悪太郎も今年で73歳だ。お誘いはうれしかったものの、先のことを気にして少しためらっていた。大腸ガンも患ったことがあるから、ご迷惑も掛けたくないしね。
でも、よくよく考えたんだ。
巨人V9時代を戦ってきた最年少の俺が70代である。野球人生の集大成として、後世に残さなきゃいけないことはないのか。そう思えるようになった。今は、その機会を与えてくれた池田社長に感謝している。そして好き勝手なことを書かせてもらうことにした(笑)。
さぁ、何からいこうか。記念すべき第1回目。その「第1回目」にかけて、俺のドラフトにまつわる話はどうだろう。
1965年秋の第1回ドラフト会議。俺は巨人軍から1位に指名された。しかし、巨人軍は最初から俺を1位に指名する予定ではなかった。これには、甲府商業高校の監督・菅沼八十八郎さんが大きく関わってくる。
いきなり話が戻るけど、高校2年の甲子園の地方大会が終わったあとに、実は・・・
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