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堀内恒夫の悪太郎の遺言状

堀内恒夫コラム 第10回「俺がなぜメジャーからの誘いを断ったか教えようか」

 

66年ルーキーイヤーに日米野球で力投する筆者[ドジャースが来日。筆者は1勝1敗]


有効だったカーブ


 先週のコラムで大谷翔平(エンゼルス)のことを書いたけれども、早速、「堀内さんはメジャーでやりたいと思ったことはなかったですか」との質問をいただいた。まず結論から言おう。

「ない」(笑)。

 正確に言えば、やれるとは思ったけれど、やれる環境にはなかった。当時の俺には無理だったよ。

 最初にメジャーの野球に触れたのは入団3年目の1968年。20歳のときだった。ドジャースのスプリングトレーニングに参加できることになってね。メンバーは俺と同学年のピッチャーで宇佐美敏晴、二軍コーチの北川芳男さんの3人でベロビーチへと向かった。

 実は前年の春。ジャイアンツはチームプレーに磨きをかけようと、ドジャースと一緒に練習することになっていた。俺のような若手選手が渡米メンバーに選ばれるためには、自主トレや宮崎キャンプでアピールする必要がある。しかし、自主トレ初日でのこと・・・

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堀内恒夫の悪太郎の一刀両断!

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「悪太郎」こと巨人V9のエース、堀内恒夫氏の連載コラム。野球人生の集大成。

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