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堀内恒夫の悪太郎の遺言状

堀内恒夫コラム 第11回「倉田誠さんの訃報にあらためて思う。V9の記憶をしっかり遺していきたい」

 

亡くなった倉田氏[前]、後ろは倉田氏の義理の兄弟で15年に亡くなった高橋一三


巨人9連覇の功労者


 突然の訃報が届いた。巨人V9時代をともに戦った投手・倉田誠さんが12月7日午前7時30分、心不全のため川崎市の自宅で亡くなり、葬儀は近親者で行ったと聞いた(享年75歳)。この新型コロナ禍だ。何年も顔を合わせることもなく、最後を見送ることもできず、とても寂しい思いで、このコラムを書いている。

 倉田さんに最後に会ったのは、俺の記憶が正しければ、2012年甲子園球場で行われた阪神とのOB戦だ。倉田さんは選手としてではなく、マネジャーとしての参加だった。そのときの倉田さんは言葉がはっきりせず、すり足で歩いているように見えた。それがとても気になった俺は「体調はどうだ」と聞いた。すると倉田さんは「歯を抜いたら、体のバランスが悪くなった」と答えた。心配になった俺は「よく診てもらったほうがいいよ」。思わずそう言ってしまった。きっとその前から、どこか患っていたのだろう。それが最後の会話になった。

 倉田さんは、1965年、神奈川県立鶴見高校から巨人に入団。65年と言えば、11月にドラフト制度がスタートするけれども、その直前になる。川上哲治監督自ら見に行き、テストして入団したと聞いている。倉田さんは、体が大きくて硬いイメージでね。仲間からは「鉄人28号」って呼ばれていたんだ。投げたあと、プレートまで戻ってくる姿が「ガツン、ガツン」と音が聞こえてきそうでね。うまいこと言ったもんだと思ったよ(笑)。

 ピッチャーとしては・・・

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堀内恒夫の悪太郎の一刀両断!

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「悪太郎」こと巨人V9のエース、堀内恒夫氏の連載コラム。野球人生の集大成。

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