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堀内恒夫の悪太郎の遺言状

堀内恒夫コラム 第31回「菅野よ、18番の責任は重いだろうが、もっと伸び伸びと投げ続けてくれ」

 

5月12日、復帰登板となったDeNA戦[横浜]で4勝目を挙げた巨人・菅野


飛行機のような野球人生


 巨人の菅野智之が右ヒジの違和感から、たった3回で降板したのが4月29日の阪神戦(東京ドーム)。マウンドを降りた菅野は、しばらくベンチに座ったまま。真っすぐ前を向き、時に悔しそうな、無念そうな、そのなんとも言えない表情が、とても印象に残った。そして4回。菅野からマウンドを引き継いだのが、その日、支配下登録されたばかりの菊地大稀だった。新しいユニフォームが間に合わず、3ケタの数字が入ったそのままのユニフォームで登板した。苦しむエースとプロ初登板に目を輝かせる新人。まるで世代交代を匂わせるようなつなぎではあったが、菅野にとって、それはまだ早い。

 プロ野球選手の生きざまを、俺はよく飛行機に例える。離陸して、エンジンをフルパワーでトップまでもっていったら水平に飛行するよね。

 現役を続けるっていうのはさ、その水平飛行をどのくらい続けられるかどうかだと思うんだ。そのために、ピッチングスタイルを変えたりしながらもたせていくんだけど、妥協したりあきらめたところで終わり。すぐに落ち始めるし、始まったら速いんだ。でも、そうは言ってもいつかは必ず着陸しなきゃいけない。引退するってことだね。そこはまた、選手それぞれの引き際の美学があるけれど、今日は水平飛行をいかに長く続けられるかに焦点を絞りたい。

 俺が最初にピッチャーとして転換期が来たんじゃないかと感じ始めたのは、長嶋(長嶋茂雄)監督1年目。1975年(昭和50年)最下位の年。プロになって10年目で、まだ28歳だった。マウンドに立てば負けると思ったシーズンでね。俺の気持ちも大きく変わった年だった。それまではマウンドに立てば、どれだけ点差が離れていても、負ける気もしないし、自分からマウンドを降りるなんてことは絶対に嫌だった。マウンドに来たコーチに交代だと言われても断ったこともあるくらいだよ。でもね、この年は違った。

「電車や飛行機は俺が乗らなくたって時間がくれば出発してしまうが、野球は俺が投げなきゃ始まらないんだ」

 なんて強気で言っていた俺が、打たれると早く代えてくれと祈るようになった(笑)。だって、勝てる気がまったくしないんだからさ。負けるために投げるようなもの。抑えれば打線が打ってくれないし、打ってくれたときには俺が抑えられない。投打がかみ合わないというのを嫌というほど味わったシーズンだったね。終わってみれば10勝18敗。防御率が3.79。ピッチャーは勝敗も大事だが・・・

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堀内恒夫の悪太郎の一刀両断!

堀内恒夫の悪太郎の一刀両断!

「悪太郎」こと巨人V9のエース、堀内恒夫氏の連載コラム。野球人生の集大成。

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