長嶋茂雄監督[左]の下、のちの主力となる若手たちを徹底的に鍛え上げた「地獄の伊東キャンプ」。いまは別のやり方もあるかもしれないが、オフに個々の能力を伸ばすため徹底的に鍛え上げなければならないことに変わりはない。右は中畑清
伝説となった「伊東キャンプ」で“人参”に飛びついた男たち!
今年の日本シリーズは、
阪神が
オリックスとの戦いを制して、38年ぶりに球団史上2度目の日本一に輝いた。シリーズが終われば秋季キャンプの話題が、大きくクローズアップされる。それが昔から続いてきたプロ野球の伝統だった。
長嶋茂雄さんが監督を務めていた1979年に
巨人は2年連続リーグ優勝を逃し、Bクラスの5位へ転落した。その年のオフに行われた「地獄の伊東キャンプ」は、いまも伝説となって語り継がれている。
そのときに俺は31歳。もうベテランの域に達していた。だから、「伊東キャンプに参加してくれ!」と、声が掛かることはなかったけれどね。
参加メンバーは、投手では
江川卓、
西本聖、
鹿取義隆、
角三男(現角盈男)、
藤城和明、
赤嶺賢勇。捕手では
山倉和博、
笠間雄二。内野手では
河埜和正、
山本功児、中畑清、
平田薫、
篠塚利夫(現篠塚和典)。外野手では
松本匡史、
中井康之、
二宮至、
中司得三、
淡口憲治の計18人。平均年齢は23.7歳で、「常勝巨人」をよみがえらせてくれることを期待される男たちだった。
江川と西本もまだ「エース!」と呼ばれるような実績を残してはいなかった。中畑と篠塚も、ようやくレギュラーを獲得したばかりだったからね。入団から3年間は左肩脱臼で不本意な成績に終わっていた松本も、その伊東キャンプから本格的にスイッチヒッターとしてスタートを切ったばかりだった。
誰もが皆、長嶋さんから目の前にぶら下げられた「レギュラー定着」という人参に食らいつこうと必死に取り組んでいた。
当時の伊東キャンプに参加していた選手たちは、「練習がきつくて、夜、布団へ潜り込んで目をつむると、すぐに朝を迎える。だから、寝るのが怖かった」と、誰もが「もう二度と行くのは御免だ!」と言わんばかりに恐怖体験を語っている。
その試練を乗り越えた男たちが、長嶋さんがユニフォームを脱いだあとに監督の座に就いた
藤田元司さんの下で、常勝軍団を復活させたというわけだよ。だから・・・
この続きはプレミアムサービス
登録でご覧になれます。
まずは体験!登録後7日間無料
登録すると、2万本以上のすべての特集・インタビュー・コラムが読み放題となります。
登録済みの方はこちらからログイン