週刊ベースボールONLINE

野村克也 追悼号 野村克也と私

宮本慎也 野村克也追悼インタビュー「最初に野村さんに出会えたことはすごく幸運だったなと思います」

 

入団してからの4年間、監督と選手としてプレーした。プロの世界で生き抜くための道を示され、何も疑うことなくその道を歩んだという宮本慎也氏。生前、自分と似ているからと心配をしてくれていた恩師へ、最後のメッセージ。

1995年ドラフト2位でヤクルトに入団した宮本[後列右から2人目。後列左は稲葉篤紀]


衝撃発言からのスタート毎日怒られていた4年間


 ドラフト2位でヤクルトに入団した1995年からの4年間、野村克也氏の下でプレーした。入団会見、春季キャンプ直前と厳しい言葉を投げかけられスタートしたというプロ野球人生。そしてその後の4年間は怒られてばかりだったと振り返るが、その日々こそが、その後の野球人生に大きく影響した。厳しい中に愛情をもって育てられた教え子が語る野村克也監督とは。

 2月12日に野村さんにお別れを言いに行ってきました。優しい顔をされていましたね。最後の会話で「ここまで育ててくれてありがとうございました」と、「はよ、監督せい」と言われていましたから、「その姿を見せられなくて申し訳ありませんでした」と言いました。帰り際に克則(野村克則)と奥さんに「最後まで宮本さんの心配をしていた」と言われたんです。「あいつは俺と似て処世術が下手。だから監督になれないんだ」と。最後まで心配させてしまい申し訳ないなという気持ちと、もし今後声がかかったときには、恥ずかしくないようにしっかり勉強しておかないといけないということをあらためて思いました。処世術はきっと、うまくはならないんでしょうけど(苦笑)。

 元気な姿でお会いしたのは昨年11月が最後でした。車イスではありましたが、いろいろとお話をさせてもらい、次は2月末に会う約束をしていただけに本当に驚きましたね。

 野村さんとの思い出は多過ぎて話したらきりがないですけど、スタートは「その体で野球できるのか」と入団1年目の春季キャンプ前に言われたことです。次に「足速いんか?」と聞かれ、それほど速くはないけど「はい」と答え、「肩は強いんか?」と聞かれて、そこもまあまあでしたが「強いです」と嘘ついて(笑)。それが始まりでした。

 そういえば入団会見のとき、その年は4人全員が長男だったのに「長男は大成しない」と言って父親が驚いていたこともありました(笑)。引退後に「監督は覚えていないでしょうけど、そういうふうに言ったんですよ。そこから(宮本と稲葉篤紀の)2人も名球会が出ましたよ」と言ったら「悪かったな」と(笑)。ただ、報道などで厳しい方だということは知っており、入団前から覚悟はしていましたから、僕は気にしていませんでしたね。

 当時は褒められることなどなく・・・

この続きはアプリでご覧になれます(無料)。

アプリ限定コラム

アプリ限定コラム

アプリ限定コラム

関連情報

新着 野球コラム

アクセス数ランキング

注目数ランキング