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野村克也 追悼号 野村克也と私

小早川毅彦 野村克也追悼インタビュー「“次の1球は監督にあげよう”と決めて狙い打った、開幕戦3連発の2本目」

 

広島からヤクルトに移籍したばかりの1997年の開幕戦で、3打席連続弾を放った。その2本目は、野村監督の分析を基にした一発。「ID野球」と「野村再生工場」が、鮮やかにクロスしたシーンとなった。

1997年4月4日、巨人との開幕戦[東京ドーム]の4回表に、この日2本目のホームランを放ち、渡辺進コーチに迎えられる。野村監督の指示どおりに変化球を狙い打った一撃だった


 野村さんが亡くなられたというニュースは、キャンプ取材での移動中にテレビ局の方から聞きました。金田正一さんのお別れの会でお見掛けしていたし、その後もヤクルトOB界のニュースでお姿を見ていたので、驚きました。ショックでしたし、同時にすごく残念に思いました。

 私は1997年に広島からヤクルトに移籍し、野村監督の下で野球をさせていただくことになりました。実はその前のシーズン中から、対戦するときに「なんだ、きょうも出ないのか。ウチに来いよ」と、冗談交じりによく声を掛けてくださっていたのですが、それが本当になった。今だから話せることですけれども。

 移籍することになって・・・

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